ポスト冷戦時代のポリティカル・アート

  • 米中露環境戦争

日本は環境技術立国、ロボット先進国として名をはせている。トヨタのハイブリッド・カー、プリウスは北米でも人気だ。石油が枯渇すると、もうだいぶ前から言われているが、今後、中国などの石油需要がますます伸びるにつれ、新しい油田の発掘も活発になるだろう。このまま、中国の軍事大国化に歯止めがかからなければ、台湾などの周辺諸国との武力衝突の可能性はきわめて高くなる(「侵略合理化法」としての「反国家分裂法」)

すでに、ロシアの石油が中国に輸出されている現在、最低限、アラブの石油を確保しておかなければ、将来的な中国の脅威は高まるばかりだ。つまり、イラク戦争は今後の中国の石油需要を見越して行われたものだ。そのための代償は高くつき、イランなどの不穏な動きを助長させることになってしまった(石油支配めぐるイラク戦争)。

中国の経済発展は地球環境にも重大な影響を及ぼすと考えられている。中国では石油の代わりに石炭がよく使われている。そんな中国では、地球温暖化の主因の一つとも言われている二酸化炭素の排出量はアメリカについで多い。中国の二酸化炭素の排出量は、人口を考えれば、まだそんなに多い方ではない。

しかし、これから、一人あたまの排出量が増えれば、世界一の排出国になるのは時間の問題だろう。この二酸化炭素の排出量を規制する京都議定書には、中国はもちろんアメリカも批准していない。これでは、他の国がいくら努力しても焼け石に水だろう。とくに、中国は世界の工場ともいわれ、日本企業も相当な投資をしているが、これでは他の国で悪さをしているのと変わらない(外資の環境汚染)。

実際、日本では環境規制が厳しくてできないものを、中国などで行っている企業は数多く存在する。表向きは、ゼロ・エミッションだのチーム・マイナス6% だの言っているが、よくまあ白々しいことが言えたものだ。今や非関税障壁の一つとして、環境保護が唱えられているのが現状だ(中国進出日系企業のビジネスリスク管理)。

しかし、そもそも地球温暖化論には、見落としている点がいくつもある。まず、百年後の温度上昇の見積もりは、1〜6℃と非常にバラつきが大きい。そのばらつきの原因のほとんどは、排出シナリオ(経済モデル)の違いによるものだ。長期の経済予測ができれば、それに越したことはないが、そんなことは絵空事に過ぎないだろう(第5次評価報告書(AR5)に向けた新しい排出シナリオの作成)。

二酸化炭素の大気組成は、わずか0.04%しかない。温暖化ガスの主役はあくまで水蒸気(〜3.0%;変動)であり、二酸化炭素はフィードバック機構を促進する、いわば、触媒的な役割を担うとされている。地球規模からすれば、二酸化炭素は微々たる物でしかない。天文学的なスケールで一番影響を及ぼすのはなんと言っても太陽活動である(ドル・円25年サイクルと太陽黒点の11年周期)(太陽活動サイクルにばらつき)。

  • 核融合の幻惑 (Fusion or Confusion)

現代は太陽活動の極大期とも言われ、実際、20世紀になって太陽黒点の周期もだんだん短くなってきている。太陽活動の活発化を考慮しない温暖化論は片手落ちでしかない。では、地球シミュレータのように、太陽もシミュレーションをすればいいわけだが、ここに落とし穴がある。太陽活動は核融合に対する理解が不可欠だ。しかし、地球上で核融合のデータを得るには、核融合炉か、水爆実験のデータぐらいしかない。しかし、アメリカは、臨界前核実験を用いたコンピュータ・シミュレーションを完成させている(シミュレーション・コードの完成)。つまり、事実上、アメリカのみが太陽シミュレーションに成功しているのだ(1枚の写真が指し示すアメリカ「ITER」撤退の真相 )。

アメリカが二酸化炭素の排出削減に積極的でないのも、地球温暖化論の原因が太陽活動の活発化によるものと踏んでいるからだ(アメリカが京都議定書に入らない理由)。もう一つはなんといってもピーター・シュワルツとラグランドールによるペンタゴン・レポートの影響が大きいだろう(地球の寒冷化に関するペンタゴンレポート)。それによると、地球温暖化による海流の変化が原因で、北半球では2010年から平均気温が下がり始め、2017年には平均気温が7~8℃下がるという(Imagining the Unthinkable)。*1

当初、アメリカが京都議定書の批准を躊躇ったのは、業界からの圧力の影響もあるだろうが、最近ではアル・ゴアのようなアジテータも現れ、流れは変わってきている。ゴアはもともと環境保護推進派だが、他にも地球温暖化論を非関税障壁として利用し、中国やロシアの動きをけん制するために用いようとするものも現れてきたようだ。

そんな中、もう一つの核融合大国であるロシアの科学者からは、二酸化炭素の増大が原因だとする地球温暖化説に異を唱える声がでている。ロシア科学アカデミーアブダサマトブ博士Dr.Abdusamatov)は、次のように主張している。

地球温暖化は大気中の温室効果ガスの排出ではなく、太陽輻射の異常に高いレベルとその強度の長い──ほとんど1世紀にわたっての──増大に起因している」

アブダサマトブ博士の未来予測はこうだ。2012年から2015年にかけて地球上の気温は下がり始め2040年頃に底のレベルに達する。そのため地球は2055年頃からミニ氷河期に入り、氷河期はその後の気温上昇が起こるまでの約50年間続くのだと断言している。

地球温暖化対策として、核の冬ならぬ、太陽光を遮蔽・反射する物質をばら撒く研究なども行われている。しかし、極寒の地・ロシアの科学者の説がただしければ、「ミニ氷河期」に入る可能性もあるのだから、寒冷化に対する対策も立てておくべきだろう。どっちみち、われわれは太陽の支配下にあるのだ。(太陽活動)(地球冷却化

  • 石油枯渇後の世界・ポスト石油時代のヴィジョン

ネットは核戦争にも耐えうる通信システムとして開発された。今度は、石油枯渇に耐えうる社会を構築する必要があるのだろう。では、石油に代わるモバイル・エネルギーには何があるだろうか。燃料電池だろうか。それともエタノールだろうか。中規模・モバイル・エネルギー源ならば、すでに原子力潜水艦原子力空母がある。SFの世界はどうだろう。ドラえもんは体内に原子炉を持っている。鉄腕アトムも、ガンダムも、小型核融合炉を搭載している。核融合炉は、地上に、太陽を作る試みだ。

しかし、国際熱核融合実験炉(ITER)などは、まだ実験炉の段階である。ちなみに、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊教授などは、このITER計画に反対している。技術的には現時点で超えられないハードルがあり、いくつものブレークスルーが起こらなければ、実用化は当分先のことだろう。少なくとも、数百年程度のスパンで考えた方が無難だ。ちなみに、熱核融合の分野における日本の研究はトップクラスでもある(国際熱核融合炉「ITER」 日本への誘致“失敗”の舞台裏)。

情報化社会といわれるようになって久しい。臨界前核実験を用いたシミュレーションや温暖化予測のための地球シミュレータなど、今やコンピュータ・シミュレーションはなくてはならない存在になっている。もちろん、インターネットもそうだ。未来予測をコンピュータに任せるとは、まるで漫画の世界だ。実際、手塚治虫の漫画には、御神体のような中央集権型の巨大コンピュータがよく出てくる。しかし、さすがの手塚治虫も、ネットによる分散型システムは予見しきれなかったようだ。

ゲッペルスは言う。「何度も繰り返せば嘘でも人は信じる」と。孫子クラウゼヴィッツプロパガンダの重要性を知らない。神の目と神の耳(地獄耳)としてスパイ衛星やエシュロンを持つアメリカ、金盾プロジョクトや反日宣伝工作など情報統制や宣伝工作に長けた中国など、情報戦を制するのはどの国になるだろうか。神のみぞ知る。

全体主義に対する警戒からカール・ポパーは「開いた社会」を提唱した。閉鎖系のエントロピーは増大する一方だが、地球は開放系である。太陽からのネゲントロピーがあるからこそ、豊潤な生態系が保たれている。しかし、だからといって中国のようにロケットで衛星を破壊し、宇宙にゴミをばら撒く行為は、決して許されざる行為だ。スペース・デブリで宇宙にまで迷惑をかけるようになったとは、中国国内の秩序問題の掃き捨て場が宇宙規模にまで達しているのだろう。

ポパーが警告した「歴史法則主義の貧困」は、現代においてはコンピュータによる未来予測という形で潜んでいる。この未来予測に即して計画経済が行われるようになれば、環境イデオロギーによる新たな抑圧の始まりだ。自由はかつてないほど制限されるだろう。この歴史法則は全世界の人が標的なのだから。IPCCの排出シナリオに沿って、これから全世界が踊らされるのだ。

環境ファシズムの兆候は、すでにエコ・リベラルとも言うべき勢力に見出されている。「赤から緑へ」の流れで新左翼が市民団体などになだれ込んだことで、ニセ科学に基づいたエコ情報がまん延している。左翼は、目的のためには手段を選ばない。アル・ゴアも、環境に対する危機意識を喚起するためには、誇張表現は必要だぐらいにしか思っていないのだろう。彼のパラノイア的な態度は、陰謀理論に嵌った者がみせる典型的な症状だ。確かに、環境危機を憂えるのは結構なことだが、その高い理想主義的な物の見方が現実を見る目を曇らせることにもなっている。

言葉がファッションとして用いられるようになれば、それはファシズムへ至る第一歩だ。エコが時代の空気として流れれば、その流れに乗ったものならば、ウソやインチキでも気づかずに許されてしまうのだ。エコにとらわれた歴史的文脈の中でファシズムは進む。エコ気分な時代の風潮を浴びながら。

  • 情報の非対称

北朝鮮の最初の核爆発の直後から、米国だけでなく日本も大気サンプルをとって、その塵から核爆発によって生じる特有の物質の検出をしようとした。ところが米国はその証拠を捉えたが、日本は検出できなかった(核に無知な日本人に贈る基礎知識 =江畑謙介)。これは江畑謙介が指摘するように、日本には核に対するアレルギーがあるため、核兵器に対する研究がなおざりにされてきたからだ。

あのオウム真理教地下鉄サリン事件においても、検出に当たった消防庁の化学機動中隊は、ガス分析装置にサリンのデータがインプットされていなかった。そのため、消防官や警察官も多数の二次被害を受けることになった。結局、サリンの除染活動は自衛隊の第101化学防護隊が当たることになった。

孫子の兵法には「 敵を知り、己を知れば百戦危うからず」とある。地球温暖化論にしても、肝心、要のデータをアメリカに押さえられていては勝ち目はない。エシュロンを含めアメリカは情報戦の重要性を熟知している。伊達に戦争をしているわけではない。中国も超限戦という名の見えない戦争を仕掛けている。平和ボケしている日本人は知らぬが仏というところか。

  • 情報戦時代の終焉

この情報戦の時代に、情報理論に基づく暗号理論は必要不可欠になっている。情報理論においてエントロピーは平均情報量として定義されている。マクスウェルの悪魔は、記憶が消去されるときにエントロピーが増大するという。マザー・コンピューターに支配された管理社会は、メモリーの消去とともに去り行くのかもしれない。


マウンダー極小期〜太陽活動サイクルと地球文明

アル・ゴアにとって不都合な真実

「アル・ゴアに不都合な真実」

地球温暖化対策・京都議定書と、映画:不都合な真実-否論への意見

温暖化は憂うべきことだろうか―CO2地球温暖化脅威説の虚構

環境問題を考える

超限戦 21世紀の「新しい戦争」

*1:さらに「2020年までに破滅的な飲料水・エネルギー不足が発生し世界規模で戦争が勃発する。 各国は核の脅威を振りかざして、欠乏する食料・水・エネルギーを確保しようとし、世界は無政府状態と騒乱に陥る。その脅威はテロリズムの比ではない。」としている。

はてなサヨクの行方

情報戦時代の捏造行進曲
最近、巷では右傾化だとか、ネット右翼という言葉をよく聞くようになった。これは、戦後民主主義において残留左翼が行ってきた犯罪的とも言えるウソや捏造、そして煽動行為が明らかになったからだ。しかも、驚いたことに、今でも捏造は続いている。ネットなどにより急速に情報技術が発展した今、マスコミに対する不信感はかつてないほどに高まっている。しかし、そのことに自覚しないまま、昔の残留左翼と同じ手法で捏造とでっち上げを行えば、その反動としての右傾化はむしろ必然の結果とも言える。

では、はてなブロゴスフィアにおいてはどうだろう。「成城トランスカレッジ」は、はてなサヨク界隈では言わずと知れたブログである。このブログの管理人であるseijotcpは、「ジェンダーフリーとは」というサイトも運営している。
しかし、このサイトも旧態依然とした残留左翼と同じく、ウソやインチキで塗り固められたものであった。seijotcpは次世代サヨクと呼ばれてはいるが、その手段としてネットを用いているだけであり、根本は何も変わっていない。その詳しいウソやインチキの模様は、「成城トランスカレッジの嘘とデマ」などを参考にされたい。

一部のフェミニストバックラッシュラッシャー)などと騒いでいるが、それは当然の帰結である。実証的な裏づけとなる根拠や証拠のそのほとんどがウソや捏造を重ね塗りしたものだ。*1性差の多くは先天的なものであるが、ジェンダーフリー論者はあたかもそれが文化的な構築物であると主張する。しかし、生物学や脳科学の発展などにより性差に対する研究が進むにつれて、今度は性差を基にしたアファマーティブ・アクション(ポジティブ・アクション)を主張することになるだろう。*2

このように、どこまでも永続化されるイデオロギー運動がフェミニストに代表される左翼運動の特徴の一つである。ご都合主義として利用される理屈は何でもかまわないのだ。それが目的のためには手段を選ばない左翼の特徴でもあるからだ。では、残留左翼が行ったウソや捏造から得られる教訓は何だろうか。それはもうウソや捏造などのごまかしが効かなくなってきており、さらには、ときに逆効果ですらあるということだ。

Q不毛なレッテルの張り合いがもたらすもの
ここは情報統制の行き届いた北朝鮮や中国ではない。いくら、マスコミや学者が煽動したところで、やがてウソはばれる。ウソは信頼を揺るがす行為であり、左右問わず致命傷になりかねない極めて危険な行為だ。ウソは人の倫理感覚をどこまでも後退させてしまう。過去のウソや捏造について今からでも清算を行えばまだ少しは救いもあるが、今更それは不可能なことなのだろう。それは過去を全否定することにもなるのだから。残留左翼が寿命を迎えても、次世代のサヨクに継承される。人は至ることで鎖に縛られている。イデオロギーという名の呪縛と迷信によって。


フェミナチの惑星・猛毒の街
左翼のウソが反動を招くしかないことは、バックラッシュなどと騒いでいたフェミニストには十分わかっていることのはずだ。「目的のためには手段を選ばない」という残留左翼の手法は邪道である。このまま邪道を歩むことは無闇に反動が起こるだけだ。邪道も覇道も長くは続かない。左翼も王道を目指すべきだろう。それがよりよい世の中を作るうえで建設的かつ懸命な道だ。残念ながら、一部フェミニストらは開放同盟のダミー団体である人権協会との連帯を強めており、先鋭化を強める一方のようだ。先鋭化を極めれば恐竜のようにやがて滅びるだろう。猫のように爪を隠して、掌にする術を身に着けるのだ。

*1:例えば、ミードの『サモアの思春期』はデレク・フリーマンの『マーガレット・ミードとサモア』により反駁されている。ジョン・マネーとパトリシア・タッカーの『性の署名』も、後に失敗であることが明らかになっている。フェミニストが政治的に用いたジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』の「抑圧された記憶の回復」説は、エリザベス・ロフタスによって否定されている。

*2:機会の平等ならまだしも、結果の平等を求めることは共産主義的な発想である。

はてなサヨクの研究・リンクスコア編

【緒言】
はてなブロゴスフィアでは、seijotcpによる「ジェンダーフリーとは」や「教育基本法改悪反対」などのリンクやバーナーが散見される。これらは極めて政治的な主張の表象行為である。そこで、はてなブログにおける政治的な空気をより詳しく分析するために、はてなサヨクの研究を報告する。

なお、今回、他のブログとの比較は行わなかった。理由はめんどくさいというのが一点。もう一つは、今回用いた手法が、はてな独自のシステムに依存したものによるからである。したがって、この研究は「はてな」に左翼が多いとか言うことを主張するものではない。この研究だけでは、はてなの特異性をなんら表すものではないことをまず断っておきたい。


【実験手法】
リンクスコアの比較
はてなブログの特徴は、なんといっても自動リンクである。わざわざ、リンクを断る積極的な理由はないはずだ。しかし、拒否したいリンク・キーワードへ投票することによって、リンクを断ることができる。もちろん、許可を認めるボタンもあるが、積極的に押す意味は余りないだろう。今回、それらの行為を意思表示の一形態として仮定した。リンクスコアは以下の式で表される。

リンクスコア(%)=リンク可の総数/(リンク可の総数+リンク不要の総数)×100

つまり、リンクスコア値が低いほど、そのキーワードを拒否したいものと考えられる。一方、リンクスコア値が高いほど、そのキーワードは受け入れられていると見なした。そこで、その仮定に基づき、政治的なキーワードに対するリンクスコアを比較・検討を行った。


【結果・考察】
(1) 「右翼」vs「左翼」
「右翼」 リンクスコア:34 リンク不要(30) リンク可(16)
「左翼」 リンクスコア:40 リンク不要(33) リンク可(22)
「右翼」34% < 「左翼」40%

「右翼」も「左翼」も、ともに低いリンクスコア値が得られた。両方とも、政治的な話題をするところでは頻繁に使われる言葉だ。これれらの言葉は使いたいが、リンクは勘弁してくれといったところか。また、「右翼」のリンクスコア値の方が「左翼」に比べ低い値を示した。その差は6%であった。

(2) 「ウヨク」vs「サヨク
「ウヨク」 リンクスコア:31 リンク不要(13) リンク可(6)
サヨクリンクスコア:48 リンク不要(15) リンク可(14)
「ウヨク」31% < 「サヨク」48%

カタカナの「ウヨク」と「サヨク」も、ともに低いリンクスコア値が得られた。また、「ウヨク」のリンクスコア値の方が、「サヨク」に比べ低い値を示した。その差は17%であった。これは漢字のキーワードに比べより顕著な差であった。母数が異なるため単純な比較はできないが興味深い結果である。以上の結果をまとめると、はてなブログでは「ウヨク(右翼)」のキーワードをより忌避する傾向があることが示唆された。

最後に、「保守」のリンクスコアを示す。
(3) 「保守」
「保守」 リンクスコア:26 リンク不要(45) リンク可(16)

「保守」のリンクスコア値は26%と、とくに顕著な低さを示した。


【まとめ】
はてなブロゴスフィアでは、「ウヨク(右翼)」、「保守」という言葉が、とくに拒否される傾向にあることが分かった。これらの言葉は使いたいが、なるべくなら秘密裏にしたい積極的な理由があるようだ。しかし、今回の調査だけでは不十分である。今後、さらなる調査が期待される。


【謝意】
なお、フィールド・ワークは不定期に行っており、前回、調査に協力してくれた左翼系ブロガーにはここに感謝の念を記したい。とくに、教育基本法改悪反対運動においては、中核派に対する不寛容な意見が数多く集まった。これは少し意外な結果であった*1

どうやら、リベラル系左派であっても、中核派は同じ仲間として受け入れてもらえないようであった。ところで、オウム事件においては、オウムを断罪するマスコミや国家権力が、どことなくオウムに似通ってきてしまう構図があることを大澤真幸らにより指摘されている。前回の中核派を用いた研究においても同様の構図は見出されており、原理主義が新たな不寛容を生み出す構図は、かなり一般的な現象であることが示唆された。


【これまでのはてなサヨクの研究例】
脳内新聞(ソース版) - {はてなにはサヨクの政治ブログが多い?}
coochoo the MAGIC - はてなサヨクと希望の時代

人力検索はてな - はてなサヨクという言葉をはじめて目にしました。

はてなは右より

*1:中核派が推奨していた広教組・広高教組の教育行政を担当していたのは、ゆとり教育推進者の寺脇研である。その寺脇のブレーンは非指示的アプローチを掲げる宮台真司である。彼は代表的なリベラル系の学者でもある。

はてなサヨクの創生

はてなサヨク左傾化した社会学
秘密結社組織クー・クラックス・クランKKK)の誕生の歴史を描いた映画作品に「國民の創生」というものがある。この映画はKKKを肯定的に描いたカルトホラー映画として悪名高い作品の一つだ。作家の広瀬隆は、この歴史を歪曲して描いた映画によって、狂信的な白人暴力集団KKKの勢力が一挙に拡大したと主張している(『予言された二十一世紀』)。彼は陰謀理論に傾くこともあるが、彼の問題を嗅ぎ取る嗅覚には非常に優れたものがある。人種差別とメディアの関係は20世紀的な問題だ。今やプロパガンダはメディアと御用学者の専売特許となっている。冷戦の崩壊に伴い民族紛争が噴出している今、無闇にナショナリズムを煽る学者には警戒が必要だろう。

日本にはカール・ポパーに対する認識が薄いから、陰謀理論のような短絡思考に対する警戒感は皆無と言っていいだろう。はてなサヨクは、教育基本法改悪反対や、共謀罪反対、AbeEndなどによってその姿を露にした。怨念の篭った悪趣味なバーナーを張ってあるから実に分かりやすい。ブサヨクと呼ばれるのも納得である。創価学会系の飲食店には三色旗がそれとなく飾ってあるといわれるが、それよりも露骨だから恐れ入る。


社会科学にまん延するニセ科学・フェミニズム運動編
悪趣味バーナーではAbeEndと一歩もひけをとらない「カルトvsオタクのハルマゲドン」というブログでは、「ジェンダーフリーとは」のサイトも仲良く飾ってあるが実にお似合いである。まさに、まん延するニセ科学である。井沢元彦は「逆説のニッポン歴史観」の中でこれまで数々の情報操作や捏造を行ってきた進歩的文化人を残留左翼と呼んでいるが、反証された学説にしがみつきニセ科学をばら撒くフェミニストも立派な残留左翼として活躍しているようだ。

はてなを利用している社会学者は気持ち悪くなるぐらいに多い。研究もろくにせずに、ブログをやっている社会学者は、はっきしいって税金泥棒だろう。だから、彼らは経済学者からはバカにされ、生き恥をさらしながらサヨクになり、反体制的な運動でも参加しなければ、やっていけない雰囲気があるのだろう。そんなどつぼにはまった状態のリベラル左翼から転向を図る宮台真司は風見鶏的な処世術を心得ているようだ。しかし、ジェンダーフリー政策などで、どっぷりと左傾化した安倍陣営から保守派が離れるように、真のリベラル派は呆れていることだろう。(陰謀理論


国体の衣をまとった共産主義者宮台真司作法
一応、アンチ宮台真司ブログと名づけたからには、一回ぐらいは彼に対する皮肉を言っておこう。小谷野敦は「すばらしき愚民社会」の中で、宮台真司の論法はポパーのいう「反証可能性」がないと指摘する。断定的な口調を好む学者はそもそも怪しいと思った方がいい。あるある大事典と同じだ。なんとなく分かった気にさせる能書きをたれるがその実なんの検証も行われておらず、単なる印象論がまかりとおっている。ニセ科学はテンポよく決め付けを行っていくが、学問とは本来、もっと慎重なものだろう。わかりやすさは、ときに、厳密さを犠牲にする。学者が何十年もかけて検証する基礎研究もたくさんある。実証的データによる裏付けもろくすっぽせずに、憶測やこじ付けでものごとが決まっていったのが、ゆとり教育の失敗である。ゆとり教育の推進者である寺脇研の理論的バックボーンと言われたのが、性の自己決定論者でおなじみの宮台真司である。

寺脇研ラ・サール時代のガチガチの教育に嫌気がさし、その反動としてゆとり教育の推進者になったらしい。偏差値優等生の勝手な恨み辛みを一般化するとは愚の骨頂である。とはいえ、自分の過去の経験を絶対化する悪癖は、とくに社会学者によく見られる。自分の過去の経験を一般化しても、それは科学にはなりえないが、べき論を語りたがる学者は、属人論法を悪びれもせず平気で振りかざす。学問的態度としてはデタッチメントが求められはずだが、そういう客観的な態度というものを持った社会学者は露出度が少ないために余り知られていない。主観的な思い込みを前面に押し出すような、上野千鶴子を筆頭にあくの強い発言が好まれている。社会学はきわめてパフォマーティブな学問といえる。


オオカミ少年科学的常識・処方箋としてのマッチポンプ
社会学者は社会に問題がないとやっていけないのだから、やたらとマッチポンプのように騒ぎ立てる宮台真司のようなオオカミ少年的な学者がもてはやされるのだろう。彼の著書はきわめてキッチュかつキャッチーなタイトルが並ぶ。ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』という本があるが、『社会問題をあおってはならない』という本も必要だろう(ちなみに、ロンボルグとの対談を予定していたアル・ゴアは直前になって、ロンボルグがゴアの意見に反対しているという理由で対談をキャンセルしている)。宮台真司氏は、専業主婦は百害あって一利無し、酒鬼薔薇聖斗の猟奇殺人は、学校、家族、社会を悪として糾弾して、おおいにそのマッチポンプ振りを発揮している。一昔前なら、煽動罪で捕まっていただろう。しかし、時代は専業主婦に対して冷遇する風潮になってきている。嫉妬に駆られたフェミニストが行った一連のジェンダーフリー運動がこうをそうしたのだろう。

宮台真司氏は、セフレ関係を「お礼エッチ」「かわいそエッチ」などと分析している(「ニッポン問題」)。また、援助交際をフィールド・ワークと称して行い、女子高生を二百人切りしたことを自慢しているが、この人には人格的に何か足りないものがあるとしか思えない。社会学者はジェンダーなどについても文化的構築物だから、悪だと決め付け、人間の羞恥心と言うものを敵視している(「自分らしさ」とジェンダー)。しかし、人から羞恥心を奪ったら社会生活などできるはずもない。パンツも文化的なもの(押し付け)だから脱いで、裸で暮らせとでも言うのだろうか。文明人よりも野生人として生きろと言うのなら、勝手に無人島にでも住んでいてもらいたいものだ。

女子高生を買い漁る社会学者がゆとり教育を唱える。そんな人格破綻気味の偏差値優等生を生み出す教育システムはやはりどこか問題なのだろう。しかし、それは一部私立の進学校の風潮がおかしいだけで、公教育全体を破壊するのは早急なことであったと思う。願わくば、日本では立ち遅れている計量社会学などの分野を発展させ、疑似科学化した社会学をどうにか立て直してほしいものだ。再生するのは教育ではなく社会学の方にある。

しかし、社会科学にまん延する疑似科学ニセ科学の排除がいかに難しいことかは、未だに一部大学ではフェミニストを含む活動家や過激派の巣窟となっていることからも容易に察せられる。中核派の草刈場になっている法政大学などは、いつまでも手をこまねいている場合ではないだろう。そんな中核派が推奨する広教組・広高教組のデタラメな教育を推し進めたのが、あの宮台と野合を組んでいる寺脇研だというのだから、あいた口が塞がらない。(中核派が推奨する広教組)(週刊『前進』(1907号3面1)


反証不可能な価値命題
ウェーバーは「社会科学は価値命題を出してはいけない」と述べたが、宮台真司ルーマンのシステム理論を用いて数々の「べき論」を打ち出してきた。ラプラスの悪魔も真っ青な決定論的な世界観を持っているのだろう。しかし、そのべき論(価値命題)を正当化するために持ち出したシステム合理性は非常に思料に欠いたものであったし、非指示的アプローチなど欧米で失敗した社会実験の後追いでしかなかった(イギリス病を克服した教育改革)。彼らに年次改革要望書などのアメリカからの内政干渉を非難する資格はないだろう。自ら積極的に欧米の模倣をこぞって主張してきたわけだから、外国かぶれの愚か者のあんぽんたんのこんこんちきだ。欧米の物まねや輸入で飯を食ってきた理論系の社会学者は猛省してほしいものだ。

『世の中には、誰も証明ができないほど確かなものがあるのではなかろうか。しかし宮台はそれを、証明できないものほど不確かなものはない、という一番楽な論理に乗っかって、貧弱な正論(?)を吐いているだけのような気がする。「人を殺していけない理由はあるか」と自ら問いかけ、「ありません」と断言なされた。私のような凡人には、これがなかなか理解できない。

私には「説明することはできないが、人を殺してはいけない理由は、やはりある」ような気がする。しかしその理由を説明することは不可能であるような気がしている。それはもともと、「何のために生まれてきたか」と同じくらいに人間が今まで何千年もかけて考えてきたことなのであり、しかも誰も証明したことのない疑問だから、仮に「証明できないものほど不確かなことはない」とする論理に乗っかると、はじめから宮台の勝ちは目に見えている。』(10.「宮台真司」批判1より抜粋)

寺脇研
『平成5年から8年の間、広島県の教育長を務め、高校進学希望者は入試で0点でも全員入学できるという「高校全入」政策を押し進めた。その間、広島県の学力は急降下し、国公立大学入試センターで平成2年には全国都道府県中21位だったのが、8年には45位と全国最下位レベルとなった。犯罪を犯す少年の比率は、千人当たり23.9人と全国一位(平成9年)である。こういう失敗をした人が、その責任も追求されずに中央官僚として「ゆとり教育」をさらに押し進めた。』(おそろしい人々(1)より抜粋)

宮台真司批評リンク
ミスター文部省 寺脇氏の降格に思う

冬枯れの街〜呪詛粘着系公共圏〜

教育の崩壊 教育改革と自己責任の危うさ

ホリエモンと宮台真司

アル・ゴア批評
「アル・ゴアに不都合な真実」


チキに不都合な真実
ついでに、チキさんのインチキも紹介しておこう。こちらのサイト ⇒ 「ジェンダーフリーとは」のウソ
パンツは、社会的・文化的な押し付けだから脱いで自由になろう!気持ちいいよ〜(^^)
by フリチン大好きインチキ・チキさんとノーパンズ


はてなサヨクの創生In-chiki means fraud. What a phony!

マスコミのインチキぶりは今に始まったことではないが、ネットの中にまでインチキをばら撒くチキさんは次世代のサヨクの先駆けである。筑紫哲也2ちゃんねる便所の落書きと評したそうだが、サヨクはネットでも糞便たれ放題のようだ。ジェンダーフリーで、パンツ・フリー(あるいはパンティー・フリー)のチキさんには悪いが、やはりサヨクにはパンツを履いてもらうか、さもなくばオムツを履かせるしかないだろう。それが文化というものだ。ついでに、尻を拭くのも文化だ。

ネットには期待と不安が存在するだろうが、今は期待のほうが大きいのかもしれない。ただ、韓国や中国のwikipediaの様子を聞くと、やはり民度というものが国の存亡に関わってくるのだろう。アジア通貨危機で韓国がIMFの管理下に入ったのは、ほんの十年前だ。日本も夕張市財政再建団体の管理下におかれているが人事ではない。国の足を引っ張る革新官僚を含め残留左翼は売国奴以外の何者でもない。先に、プロパガンダはメディアと御用学者の専売特許と述べた。しかし、ネット時代のインチキは、まさにチキから始まているのだ。今、ここに、チキをはてなサヨク頭目として認めるときがきた。これが世に言う、はてなサヨクの創生の始まりである。

ジェンダーフリーはニセ科学:文化相対主義の終焉

脳科学が明らかにしたニセ科学としてのジェンダー
宮台真司は、自分の学問的出発点に、チョムスキー言語学ゲーム理論をあげている。言語学はこれから、グーグルなどの検索エンジンや自動翻訳機の発展にとっても大きな役割を担っていくのは間違いないことだろう。チョムスキーの理論と脳科学の接点は、酒井邦嘉の『言語の脳科学』などで言及されいてる。チョムスキーは、人間には普遍文法が備わっていると考えた。実際、近年の脳科学の成果は、人間の脳が完全なタブララサ(白紙)ではないことを示している。文化相対主義は差異を重視する。そのため、共存の困難性に訴えれば、排他的なナショナリズムに用いられることもある(オウムは相対主義が絶対化した典型例だ)。しかし、近年の脳科学言語学は普遍文法などの共通性を人間の中に見出してきた。


文化相対主義の終焉
『「文化相対主義」は人間性について、その多くは社会的、文化的に形成されたものであり、生物学的な要因は弱い―とくに人間の心的な性質については、脳の中で精神作用をつかさどるようなところは可塑的で、生まれたときは「白紙」のようなものであり、その白紙への書き込みは文化、社会主体でなされるもの、と考えてきた。』

『しかしこのような神話は、近年次々に打ち壊されてきている。人間の脳は決して「白紙」ではなく、人間の持つ性質・能力のうち意外に多くの部分は、あらかじめ遺伝的にプログラムされており、その範囲内での「文化的相対性・多様性」であると言える。』(『経済学という教養』)


ロマン主義を背景としたジェンダーフリー思想
ジェンダーフリー思想の背景にあるのは、まず、文明や社会というものを罪悪視し、そう言うものがなければ人間は本来は素晴らしい存在なのだという、ロマン主義的な性善説である。』
ロマン主義は、何かまずいことが起こった時に「その原因はこれだ」というものを名指して、その「悪の根源」を排除すれば問題はすべて解決するという、とても単純な思考法に陥ってしまう。「悪の根源」を排除すれば問題は解決するという以上、「人間自体は本来すばらしいものだ」という前提が不可欠である。つまり、このような単純な思考法で満足するためには、ロマン主義的な人間観を前提に置く必要があるのである。』(『「自分らしさ」とジェンダー』より一部抜粋)


ニセ科学を担いだジェンダーフリー運動(フェミニストに「不都合な真実」)
『日本では、デレク・フリーマンの『マーガレット・ミードとサモア』で否定されたミードの『サモアの思春期』を依然として重要参考文献としてあげる学者、失敗であることが明らかにされたジョン・マネーとパトリシア・タッカーの『性の署名』に固執する学者、エリザベス・ロフタスによって否定されたジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』の「抑圧された記憶の回復」説を「政治的」に利用しようとするフェミニストたちがいるのである。しかし北米でもフランスでも、科学として論証されたことなど一度もない精神分析を用いて論文や評論を書く者が、フェミニストであるとないとを問わずごまんといる』(「吉原真里との議論」より一部抜粋)


女を捨てた革命家・永田洋子
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/lynch.htmより一部抜粋)
(『ブンドのマタ・ハリ』こと、美しき才女、重信房子)対する永田洋子は、週刊誌に「チビでブス」、「ぎょろ目で出っ歯の醜女」と書きたてられたような面相だった(永田はバセドー氏病をわずらっていたため、目が飛び出し気味であった)が、演説の才があり、ひたむきな革命への情熱は魅力的ですらあった。森は永田に「個人的な友情」を感じ、両派は合同計画を練りはじめる。

1971年、12月20日、幹部会議で全員の「総括」を求めることが可決され、第一回目の総括が行なわれた。永田洋子赤軍派の遠山美枝子に対し、「化粧したり、髪を櫛でとかしたり、指輪をしたり――彼女は革命戦士としては失格だ」と批判した。

1972年1月1日午後、小嶋和子死亡。死因は内臓内出血と、凍死であった。2日、加藤は屋外から小屋の中へ移された。2日、以前に永田が批判した遠山美枝子と、22歳の行方正時が総括される。遠山の罪状は主に「女を捨てていない。革命戦士らしくない」というものであるが、彼女が重信房子を崇拝していたことも永田には気にいらなかったようだ。

行方の罪状は「日和見主義」、「警察で組織の秘密をしゃべった」等々。彼らは暴行を受け、柱に縛りつけられた。遠山は自慢の髪まで切られ、食事もなく放置された。4日、加藤能敬、死亡。顔は土左衛門のごとく膨れあがり、生前の面影はなくなっていたという。6日、あいつぐ死者の数にメンバーはほとんど狂気と化していた。彼らは恐怖と罪悪感から逃れたい一心で、遠山と行方への暴行を再開し、薪でぶん殴った。薪は遠山の性器にも押しこまれた。7日、母の名を呼びながら遠山、死亡。9日、行方が死亡。

26日、赤ん坊を連れてベースに合流した山本順一が総括される。理由はもはやあってなきがごとしで、「運転を誤まった」というものである。彼は殴られず、極寒の山中で一晩中の正座を命じられた。――が、のちに寒さで失神し、倒れたことによって「態度がなってない」と暴行を受け、木に縛り付けられた。同日、「美人でいい気になっている」という理由で大槻節子が総括にかけられる。また、大槻をかばったことで、金子みちよも同罪となった。金子みちよは妊娠8ヶ月だったが、まったく容赦はされなかった。彼女たちは髪を切られ、歯が折れ顔が腫れあがるまで殴られた末、柱に縛られた。30日、山本死亡。苦悶のため、自分で舌を半分以上噛みきっていた。永田は「誰かを総括してないと、みんな退屈してたるんで困るわ」と公言。それを聞きつけ恐怖にかられたメンバーは大槻へのリンチを再開した。大槻は「目が、目がまわる。水、水」を最期の言葉として息絶えた。

あさま山荘事件当時、彼らの「革命的行動」を賛美した進歩的文化人は、ここに至って沈黙を余儀なくされた。


永田とその後のフェミニスト
『美津さんは、自分の番が周ってくると、席を立って話始める。「私と永田洋子の違いは、私はミーハーで、永田はミーハーじゃなかったのよ。永田の周りの人は、一見すごく健全。で永田はおからを毎日食べてるって言ってて、私は無理だわ、と思ったの」「永田も新しい女の生き方を探してた。でも兵士になろうとしたとき自分の中の矛盾を押し殺したんだと思う。孕んだオンナやイヤリングをつけて戦う女を自分の中の消したい自分だったから殺したんだろうね。もし永田がイヤリングつけて戦って何が悪いって開き直ってたら違ったわね」』
http://www.lovepiececlub.com/gebako/gebako.htmlより)


フェミニストからの伝言(ジェンダーは答えを知っている)
永田洋子に対して、上野千鶴子はこう述べている。「深いトラウマだった。私がもしそこにいたら? 殺す側にいたかもしれないし、殺される側にいたかもしれない。」生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠 (単行本)

チキに不都合な真実・まん延するニセ科学(ジェンダーフリー編)

ジェンダー帝国の逆襲

kichiさんが妄想電波発信中 I love chicken in my kitchen.

成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN―」というブログをご存知だろうか。フェミニストは、世界的な悪の秘密結社であるジェンダー帝国と戦うという尊い使命があるはずだ。しかし、それさえもほっぽりだして、身内のブログまで叩くようになってしまったようだ。いったい、kichiさんに何があったのだろうか。

仮面ブログというレッテルをはり、なにやら、ファッビョッているようだが、げに浅ましきものである。私は部外者なので、詳しい経緯についてわからないが、フェミニスト同士が手を取り合い、一致団結せねば、ジェンダーと戦うことなどできるはずはない。内ゲバは確かに権力闘争の一種として、上野千鶴子マルクス主義フェミニストにより推奨されている。

しかし、仮にジェンダーを倒しても、さらに内へ内へと、敵を作っていき、自分たち以外が絶滅するまで、権力闘争は自己目的化され永続化されるのであろう。あの連合赤軍事件の永田洋子のように。kichiさんらは、アレげなとか、なんだってー、とか、片言の外国人なみの語威力を使い、わざと馬鹿なフェミニストを演じて、フェミニストの印象を貶めたいのはわかるが、見ていて品のいいものではない。あの聡明なkichiさんは、いったいどこへ行ってしまったのだろう。

柳沢大臣の発言にもヒステリックなまでに過剰に反応して、おかしなTシャツまで作っているようだが、上野千鶴子が見たら嘆くだろう。まるで、あのバイブガールズを思わせる悪趣味さである。わざと、品格のないフェミニストを演じるkichiさんらは、利権に群がるだけの、フェミニスト最大の敵になってしまったようだ。願わくば、早くもとのkichiさんに戻ってほしい。そう切に祈るばかりである。最後に、真に受ける人がいたとしても、「あえて」アイロニーによるコミットメントをしたことに敬意を示す。
a’ ≡ a(de) (mod n) ≡ a( x * φ(n) + 1) (mod n)

『美津さんは、自分の番が周ってくると、席を立って話始める。「私と永田洋子の違いは、私はミーハーで、永田はミーハーじゃなかったのよ。永田の周りの人は、一見すごく健全。で永田はおからを毎日食べてるって言ってて、私は無理だわ、と思ったの」「永田も新しい女の生き方を探してた。でも兵士になろうとしたとき自分の中の矛盾を押し殺したんだと思う。孕んだオンナやイヤリングをつけて戦う女を自分の中の消したい自分だったから殺したんだろうね。もし永田がイヤリングつけて戦って何が悪いって開き直ってたら違ったわね」』
http://www.lovepiececlub.com/gebako/gebako.htmlより)


永田洋子に対して、上野千鶴子はこう述べている。「深いトラウマだった。私がもしそこにいたら? 殺す側にいたかもしれないし、殺される側にいたかもしれない。」生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠 (単行本)

ゆらゆら帝国で考え中(ザイン帝國で瞑想中)

原理主義者には皮肉が通じないと言うが本当だった。宮台真司は皮肉が通じない人の存在を考慮しているのか。丸山真男俗流亜インテリ論などの真似をして、ヘタレだ何だと、属人論法を展開する宮台真司には、無理難題だったのかもしれない。地道な実証研究を馬鹿にせず、もとの理論屋に戻って欲しいものだ。芸達者な御用学者の身分に安住してしまっていては、せっかくの知性が台無しだ。
dS(t) = S(t)(σdW(t) + μdt) B(t) = exp(rt)
ジェンダーなポエム
(by インチキ・チキさんの淫痴飢さん)
ジェンダーこそが世の中を悪くしている元凶なのら
ジェンダーからの開放を目指して戦うんだー!
あの果てしない自由の空へ


帝国三部作
ジェンダー帝国の逆襲
ガモウ帝国の逆襲
ドヴァ帝国の逆襲
unsigned int hash(char *s) { unsigned int h; h = 0; for (;*s != '\0'; s++) { h = h * 137 + *s; } return h % 1987;}

今さら、捏造で騒ぐのは白々しい

うそつきはテレビの始まり
いまさら、捏造で騒ぐメディアとは一体何様のつもりなのだろう。TBSがオウムにビデオを見せたことで、坂本弁護士一家が殺害されるきっかけにもなった。しかも、TBSはビデオを見せた事実はない、と全面否定をしたのだ。うそつきはTBSのはじまりである。そして、筑紫哲也は「TBSは今日、死んだに等しいと思います」と言った。今ある、TBSはゾンビなのかもしれない。民衆は忘れやすいものだ。メディアはうそをつき、絶対に非を認めることはない。ゾンビにそんなことを期待しても無駄だろう。

テレビは死んだふりをして、ほとぼりが冷めたころになれば、また、視聴率至上主義に振り回される。民意をくみ上げることが視聴率につながるのだ。これまでに、TBSはさまざまな捏造行為や言論テロ行為を行ってる。その結果、TBSの免許放送取り消し運動まで起きている。

マスコミが伝えないものは、ネットを通してしか伝わらないものもあるだろう。もし、今ネットがなかったとしたら、中国がチベットで大虐殺を行っていることも知ることはできなかっただろう。そのチベット大虐殺の指揮者が胡錦濤ということも知られぬままだ。

人は間違える生き物だ。だから、失敗したら、誤ればいい。そう、あの柳沢大臣のように。しかし、確信犯的に行われたことは、なかなか謝ることはできないだろう。テレビとは「あるある大事典」どころではない、捏造の山だからだ。

トカゲの尻尾きりだか、生贄だかで、スケープゴートのごとく、自分のことを棚にあげて、一生懸命、あるあるの捏造を叩いているメディアは白々しくもありわざとらしい欺瞞に満ちた行為だ。テレビが捏造をするのは当たり前の時代だ。それは何も大本営発表ナチスの宣伝相・ゲッペルス以来、変わらぬことだ。


捏造のプロ加藤千洋
ニュースステーションでお馴染みの加藤千洋さんは捏造行為の専門家でもありますが、北朝鮮工作員・黄虎男との太いパイプを誇示する勇気のある真の左翼の生き様をわれわれに見せてくれている。

加藤千洋


『加藤「先程、模擬法廷の話が有りましたけれどね、今日は歴史問題の話ではないと思うんですよね。ジャーナリズムと政治介入って言うものが焦点が当たっている問題だと思うんですけれども、その中でさっき安倍さんの発言でね、ちょっと物凄く面白いと思ったんですけれども、北朝鮮側の検察役で来た黄虎男さん、あれ二度の日朝首脳会談の向うの主席通訳をやってらっしゃる」
安倍「ええ、そうですよ」
加藤「工作員なんですか?」
安倍「そりゃあ事実上工作員でもあるんですね」
加藤「はぁ〜」
安倍「恐らく、加藤さんには窺い知れない世界だと思います。それだけ国際政治に加藤さんもしかしたら精通しておられないと思うんですが、北朝鮮という国はですね、」
加藤「あのぉ、黄さん、は、多少は面識、ていうか、有るんですけど…」
安倍「やっぱそれは面識有るんだと思います。」
加藤「はぁ…」
安倍「その時にマスコミ関係者からですね情報を取る、そしてなるべく北朝鮮のシンパにしようとすると言う事を所謂『オペレーション』と呼ぶんですね。それに関ってるからこそ加藤さんに接触したんじゃないかなぁ、とこう思いますね」』

http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200501140308.html引用)



【「従軍慰安婦」を「捏造」「演出」したのは、福島瑞穂弁護士。】-つれづれすくらっぷ:イザ!
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/68322

There are many natural scientists, and especially physicists, who continue to reject the notion that the disciplines concerned with social and cultural criticism can have anything to contribute, except perhaps peripherally, to their research.