はてなサヨクの創生

はてなサヨク左傾化した社会学
秘密結社組織クー・クラックス・クランKKK)の誕生の歴史を描いた映画作品に「國民の創生」というものがある。この映画はKKKを肯定的に描いたカルトホラー映画として悪名高い作品の一つだ。作家の広瀬隆は、この歴史を歪曲して描いた映画によって、狂信的な白人暴力集団KKKの勢力が一挙に拡大したと主張している(『予言された二十一世紀』)。彼は陰謀理論に傾くこともあるが、彼の問題を嗅ぎ取る嗅覚には非常に優れたものがある。人種差別とメディアの関係は20世紀的な問題だ。今やプロパガンダはメディアと御用学者の専売特許となっている。冷戦の崩壊に伴い民族紛争が噴出している今、無闇にナショナリズムを煽る学者には警戒が必要だろう。

日本にはカール・ポパーに対する認識が薄いから、陰謀理論のような短絡思考に対する警戒感は皆無と言っていいだろう。はてなサヨクは、教育基本法改悪反対や、共謀罪反対、AbeEndなどによってその姿を露にした。怨念の篭った悪趣味なバーナーを張ってあるから実に分かりやすい。ブサヨクと呼ばれるのも納得である。創価学会系の飲食店には三色旗がそれとなく飾ってあるといわれるが、それよりも露骨だから恐れ入る。


社会科学にまん延するニセ科学・フェミニズム運動編
悪趣味バーナーではAbeEndと一歩もひけをとらない「カルトvsオタクのハルマゲドン」というブログでは、「ジェンダーフリーとは」のサイトも仲良く飾ってあるが実にお似合いである。まさに、まん延するニセ科学である。井沢元彦は「逆説のニッポン歴史観」の中でこれまで数々の情報操作や捏造を行ってきた進歩的文化人を残留左翼と呼んでいるが、反証された学説にしがみつきニセ科学をばら撒くフェミニストも立派な残留左翼として活躍しているようだ。

はてなを利用している社会学者は気持ち悪くなるぐらいに多い。研究もろくにせずに、ブログをやっている社会学者は、はっきしいって税金泥棒だろう。だから、彼らは経済学者からはバカにされ、生き恥をさらしながらサヨクになり、反体制的な運動でも参加しなければ、やっていけない雰囲気があるのだろう。そんなどつぼにはまった状態のリベラル左翼から転向を図る宮台真司は風見鶏的な処世術を心得ているようだ。しかし、ジェンダーフリー政策などで、どっぷりと左傾化した安倍陣営から保守派が離れるように、真のリベラル派は呆れていることだろう。(陰謀理論


国体の衣をまとった共産主義者宮台真司作法
一応、アンチ宮台真司ブログと名づけたからには、一回ぐらいは彼に対する皮肉を言っておこう。小谷野敦は「すばらしき愚民社会」の中で、宮台真司の論法はポパーのいう「反証可能性」がないと指摘する。断定的な口調を好む学者はそもそも怪しいと思った方がいい。あるある大事典と同じだ。なんとなく分かった気にさせる能書きをたれるがその実なんの検証も行われておらず、単なる印象論がまかりとおっている。ニセ科学はテンポよく決め付けを行っていくが、学問とは本来、もっと慎重なものだろう。わかりやすさは、ときに、厳密さを犠牲にする。学者が何十年もかけて検証する基礎研究もたくさんある。実証的データによる裏付けもろくすっぽせずに、憶測やこじ付けでものごとが決まっていったのが、ゆとり教育の失敗である。ゆとり教育の推進者である寺脇研の理論的バックボーンと言われたのが、性の自己決定論者でおなじみの宮台真司である。

寺脇研ラ・サール時代のガチガチの教育に嫌気がさし、その反動としてゆとり教育の推進者になったらしい。偏差値優等生の勝手な恨み辛みを一般化するとは愚の骨頂である。とはいえ、自分の過去の経験を絶対化する悪癖は、とくに社会学者によく見られる。自分の過去の経験を一般化しても、それは科学にはなりえないが、べき論を語りたがる学者は、属人論法を悪びれもせず平気で振りかざす。学問的態度としてはデタッチメントが求められはずだが、そういう客観的な態度というものを持った社会学者は露出度が少ないために余り知られていない。主観的な思い込みを前面に押し出すような、上野千鶴子を筆頭にあくの強い発言が好まれている。社会学はきわめてパフォマーティブな学問といえる。


オオカミ少年科学的常識・処方箋としてのマッチポンプ
社会学者は社会に問題がないとやっていけないのだから、やたらとマッチポンプのように騒ぎ立てる宮台真司のようなオオカミ少年的な学者がもてはやされるのだろう。彼の著書はきわめてキッチュかつキャッチーなタイトルが並ぶ。ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』という本があるが、『社会問題をあおってはならない』という本も必要だろう(ちなみに、ロンボルグとの対談を予定していたアル・ゴアは直前になって、ロンボルグがゴアの意見に反対しているという理由で対談をキャンセルしている)。宮台真司氏は、専業主婦は百害あって一利無し、酒鬼薔薇聖斗の猟奇殺人は、学校、家族、社会を悪として糾弾して、おおいにそのマッチポンプ振りを発揮している。一昔前なら、煽動罪で捕まっていただろう。しかし、時代は専業主婦に対して冷遇する風潮になってきている。嫉妬に駆られたフェミニストが行った一連のジェンダーフリー運動がこうをそうしたのだろう。

宮台真司氏は、セフレ関係を「お礼エッチ」「かわいそエッチ」などと分析している(「ニッポン問題」)。また、援助交際をフィールド・ワークと称して行い、女子高生を二百人切りしたことを自慢しているが、この人には人格的に何か足りないものがあるとしか思えない。社会学者はジェンダーなどについても文化的構築物だから、悪だと決め付け、人間の羞恥心と言うものを敵視している(「自分らしさ」とジェンダー)。しかし、人から羞恥心を奪ったら社会生活などできるはずもない。パンツも文化的なもの(押し付け)だから脱いで、裸で暮らせとでも言うのだろうか。文明人よりも野生人として生きろと言うのなら、勝手に無人島にでも住んでいてもらいたいものだ。

女子高生を買い漁る社会学者がゆとり教育を唱える。そんな人格破綻気味の偏差値優等生を生み出す教育システムはやはりどこか問題なのだろう。しかし、それは一部私立の進学校の風潮がおかしいだけで、公教育全体を破壊するのは早急なことであったと思う。願わくば、日本では立ち遅れている計量社会学などの分野を発展させ、疑似科学化した社会学をどうにか立て直してほしいものだ。再生するのは教育ではなく社会学の方にある。

しかし、社会科学にまん延する疑似科学ニセ科学の排除がいかに難しいことかは、未だに一部大学ではフェミニストを含む活動家や過激派の巣窟となっていることからも容易に察せられる。中核派の草刈場になっている法政大学などは、いつまでも手をこまねいている場合ではないだろう。そんな中核派が推奨する広教組・広高教組のデタラメな教育を推し進めたのが、あの宮台と野合を組んでいる寺脇研だというのだから、あいた口が塞がらない。(中核派が推奨する広教組)(週刊『前進』(1907号3面1)


反証不可能な価値命題
ウェーバーは「社会科学は価値命題を出してはいけない」と述べたが、宮台真司ルーマンのシステム理論を用いて数々の「べき論」を打ち出してきた。ラプラスの悪魔も真っ青な決定論的な世界観を持っているのだろう。しかし、そのべき論(価値命題)を正当化するために持ち出したシステム合理性は非常に思料に欠いたものであったし、非指示的アプローチなど欧米で失敗した社会実験の後追いでしかなかった(イギリス病を克服した教育改革)。彼らに年次改革要望書などのアメリカからの内政干渉を非難する資格はないだろう。自ら積極的に欧米の模倣をこぞって主張してきたわけだから、外国かぶれの愚か者のあんぽんたんのこんこんちきだ。欧米の物まねや輸入で飯を食ってきた理論系の社会学者は猛省してほしいものだ。

『世の中には、誰も証明ができないほど確かなものがあるのではなかろうか。しかし宮台はそれを、証明できないものほど不確かなものはない、という一番楽な論理に乗っかって、貧弱な正論(?)を吐いているだけのような気がする。「人を殺していけない理由はあるか」と自ら問いかけ、「ありません」と断言なされた。私のような凡人には、これがなかなか理解できない。

私には「説明することはできないが、人を殺してはいけない理由は、やはりある」ような気がする。しかしその理由を説明することは不可能であるような気がしている。それはもともと、「何のために生まれてきたか」と同じくらいに人間が今まで何千年もかけて考えてきたことなのであり、しかも誰も証明したことのない疑問だから、仮に「証明できないものほど不確かなことはない」とする論理に乗っかると、はじめから宮台の勝ちは目に見えている。』(10.「宮台真司」批判1より抜粋)

寺脇研
『平成5年から8年の間、広島県の教育長を務め、高校進学希望者は入試で0点でも全員入学できるという「高校全入」政策を押し進めた。その間、広島県の学力は急降下し、国公立大学入試センターで平成2年には全国都道府県中21位だったのが、8年には45位と全国最下位レベルとなった。犯罪を犯す少年の比率は、千人当たり23.9人と全国一位(平成9年)である。こういう失敗をした人が、その責任も追求されずに中央官僚として「ゆとり教育」をさらに押し進めた。』(おそろしい人々(1)より抜粋)

宮台真司批評リンク
ミスター文部省 寺脇氏の降格に思う

冬枯れの街〜呪詛粘着系公共圏〜

教育の崩壊 教育改革と自己責任の危うさ

ホリエモンと宮台真司

アル・ゴア批評
「アル・ゴアに不都合な真実」


チキに不都合な真実
ついでに、チキさんのインチキも紹介しておこう。こちらのサイト ⇒ 「ジェンダーフリーとは」のウソ
パンツは、社会的・文化的な押し付けだから脱いで自由になろう!気持ちいいよ〜(^^)
by フリチン大好きインチキ・チキさんとノーパンズ


はてなサヨクの創生In-chiki means fraud. What a phony!

マスコミのインチキぶりは今に始まったことではないが、ネットの中にまでインチキをばら撒くチキさんは次世代のサヨクの先駆けである。筑紫哲也2ちゃんねる便所の落書きと評したそうだが、サヨクはネットでも糞便たれ放題のようだ。ジェンダーフリーで、パンツ・フリー(あるいはパンティー・フリー)のチキさんには悪いが、やはりサヨクにはパンツを履いてもらうか、さもなくばオムツを履かせるしかないだろう。それが文化というものだ。ついでに、尻を拭くのも文化だ。

ネットには期待と不安が存在するだろうが、今は期待のほうが大きいのかもしれない。ただ、韓国や中国のwikipediaの様子を聞くと、やはり民度というものが国の存亡に関わってくるのだろう。アジア通貨危機で韓国がIMFの管理下に入ったのは、ほんの十年前だ。日本も夕張市財政再建団体の管理下におかれているが人事ではない。国の足を引っ張る革新官僚を含め残留左翼は売国奴以外の何者でもない。先に、プロパガンダはメディアと御用学者の専売特許と述べた。しかし、ネット時代のインチキは、まさにチキから始まているのだ。今、ここに、チキをはてなサヨク頭目として認めるときがきた。これが世に言う、はてなサヨクの創生の始まりである。