【 原発懐疑派への買収工作 】

福島の原発事故を受けて、高木仁三郎の本を改めて読み直している人もいることだろう。いくつもの示唆的な話があるのだが、たとえば、『市民科学者として生きる (岩波新書)』には、原発推進派からの嫌がらせや反原発運動にアカのラベルを貼るなどのネガティブキャンペーン、さらには、原発マネーによって反原発活動家を篭絡する手口まで書かれている。

ここでは、スリーマイル島原発事故直後に、原発推進派によるマネーの誘惑について述べた部分を紹介しよう。原発業界の工作に、いかに巨額なマネーがうごめいていたか分かるというものだ。

スリーマイル島原発事故があり、原子力資料情報室の活動が多少世間的に注目され始めた頃のことだろうか。ある原子力の業界誌の編集長兼発行人にあたる人がひょっこり訪ねて来た。産業界寄りとはいえ、一応ジャーナリストだから取材だろうと思って気軽に会った。
 ところが彼は思いがけないことを切り出した。「あなたの活動はすばらしい。日本のエネルギーの未来を切り開く作業だ。私はあなたに惚れた。ついては、一席設けるからゆっくり話をしたい。具体的な構想もある」。
 もう十年後だったらともかく、当時は私はこういうことにまったく慣れていなかったし、酒を飲まないから「一席」はいつも苦手である。むげに断わる話でもないと思ったので、忙しさを口実にして、後日、昼間の喫茶店で彼にもう一度会った。
 彼は単刀直入に切り出した。「将来の日本のエネルギー政策を検討する政策研究会をやりたい。今の原子力べったりのエネルギー政策では駄目だ。電力会社や通産省の内部の若手にもそう思っている人がいる。そういう人を集めるから、あなたが研究会を主宰してくれないか。私はX社のY会長と親しいから、とりあえず三億円をすぐにでも使える金として用意してもらった。彼もあなたの活動に惚れこんでいる。これは、あなたが自由に使える金だ。どうだろう、Y氏に会ってくれないか」。
 当時の資料室は火の車で、三〇万円ですらとびつきたい状況だったから、「三億円あったら、一生資料室は金の苦労をしないで済むのではないか。Y氏も財界のリベラル派として知られる人だし」などと一分くらいのうちは頭を働かせた。しかし、その編集長氏の言う、研究会の性格とか「通産省や電力会社の若手」にリアリティーが感じられなかった。これは、彼らの側の私をとりこむための誘惑に違いなかった。それにしても、「一時金」が三億円とは!しばらく考えさせてくれと言って別れ、それ以上はもう会わずに、電話で断わった。誰にも相談しなかった。
 三億円(現在だったら一〇〇億円くらいに相当しようか)という話は、後にも先にもこの時限りだが、もう少し小額の金にまつわる話はいくつかあった。幸か不幸か、私はお金にはまるで鈍感な方だったので、その種の話に心をそそられることはついぞなかった。しかし、もう少し私がひっかかりやすい、巧妙な手口(私の虚をつくような誘い方)だったら、私は本当に大丈夫だったろうか。後でそんな思いも残った。いずれにしても、これも一つの学習にはなった。

出典:『市民科学者として生きる (岩波新書)』(211〜212頁)

アゴラに『大学は東電に「汚染」されている - 純丘曜彰』という記事があったが、原発利権で御用学者に転じた学者は、これからも出てくるだろう。うまみを覚えた彼らは、原発推進の旗振り役となって、原発擁護の論陣を大いに張ることだろう。地元対策においても、多額の地域振興費という飴玉で地元を”転向”させたりする戦術は当たり前のことのように行われている。人の心はお金で”変える”というのが彼らのやりかたである。