ジェンダーフリーはニセ科学:文化相対主義の終焉

脳科学が明らかにしたニセ科学としてのジェンダー
宮台真司は、自分の学問的出発点に、チョムスキー言語学ゲーム理論をあげている。言語学はこれから、グーグルなどの検索エンジンや自動翻訳機の発展にとっても大きな役割を担っていくのは間違いないことだろう。チョムスキーの理論と脳科学の接点は、酒井邦嘉の『言語の脳科学』などで言及されいてる。チョムスキーは、人間には普遍文法が備わっていると考えた。実際、近年の脳科学の成果は、人間の脳が完全なタブララサ(白紙)ではないことを示している。文化相対主義は差異を重視する。そのため、共存の困難性に訴えれば、排他的なナショナリズムに用いられることもある(オウムは相対主義が絶対化した典型例だ)。しかし、近年の脳科学言語学は普遍文法などの共通性を人間の中に見出してきた。


文化相対主義の終焉
『「文化相対主義」は人間性について、その多くは社会的、文化的に形成されたものであり、生物学的な要因は弱い―とくに人間の心的な性質については、脳の中で精神作用をつかさどるようなところは可塑的で、生まれたときは「白紙」のようなものであり、その白紙への書き込みは文化、社会主体でなされるもの、と考えてきた。』

『しかしこのような神話は、近年次々に打ち壊されてきている。人間の脳は決して「白紙」ではなく、人間の持つ性質・能力のうち意外に多くの部分は、あらかじめ遺伝的にプログラムされており、その範囲内での「文化的相対性・多様性」であると言える。』(『経済学という教養』)


ロマン主義を背景としたジェンダーフリー思想
ジェンダーフリー思想の背景にあるのは、まず、文明や社会というものを罪悪視し、そう言うものがなければ人間は本来は素晴らしい存在なのだという、ロマン主義的な性善説である。』
ロマン主義は、何かまずいことが起こった時に「その原因はこれだ」というものを名指して、その「悪の根源」を排除すれば問題はすべて解決するという、とても単純な思考法に陥ってしまう。「悪の根源」を排除すれば問題は解決するという以上、「人間自体は本来すばらしいものだ」という前提が不可欠である。つまり、このような単純な思考法で満足するためには、ロマン主義的な人間観を前提に置く必要があるのである。』(『「自分らしさ」とジェンダー』より一部抜粋)


ニセ科学を担いだジェンダーフリー運動(フェミニストに「不都合な真実」)
『日本では、デレク・フリーマンの『マーガレット・ミードとサモア』で否定されたミードの『サモアの思春期』を依然として重要参考文献としてあげる学者、失敗であることが明らかにされたジョン・マネーとパトリシア・タッカーの『性の署名』に固執する学者、エリザベス・ロフタスによって否定されたジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』の「抑圧された記憶の回復」説を「政治的」に利用しようとするフェミニストたちがいるのである。しかし北米でもフランスでも、科学として論証されたことなど一度もない精神分析を用いて論文や評論を書く者が、フェミニストであるとないとを問わずごまんといる』(「吉原真里との議論」より一部抜粋)


女を捨てた革命家・永田洋子
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/lynch.htmより一部抜粋)
(『ブンドのマタ・ハリ』こと、美しき才女、重信房子)対する永田洋子は、週刊誌に「チビでブス」、「ぎょろ目で出っ歯の醜女」と書きたてられたような面相だった(永田はバセドー氏病をわずらっていたため、目が飛び出し気味であった)が、演説の才があり、ひたむきな革命への情熱は魅力的ですらあった。森は永田に「個人的な友情」を感じ、両派は合同計画を練りはじめる。

1971年、12月20日、幹部会議で全員の「総括」を求めることが可決され、第一回目の総括が行なわれた。永田洋子赤軍派の遠山美枝子に対し、「化粧したり、髪を櫛でとかしたり、指輪をしたり――彼女は革命戦士としては失格だ」と批判した。

1972年1月1日午後、小嶋和子死亡。死因は内臓内出血と、凍死であった。2日、加藤は屋外から小屋の中へ移された。2日、以前に永田が批判した遠山美枝子と、22歳の行方正時が総括される。遠山の罪状は主に「女を捨てていない。革命戦士らしくない」というものであるが、彼女が重信房子を崇拝していたことも永田には気にいらなかったようだ。

行方の罪状は「日和見主義」、「警察で組織の秘密をしゃべった」等々。彼らは暴行を受け、柱に縛りつけられた。遠山は自慢の髪まで切られ、食事もなく放置された。4日、加藤能敬、死亡。顔は土左衛門のごとく膨れあがり、生前の面影はなくなっていたという。6日、あいつぐ死者の数にメンバーはほとんど狂気と化していた。彼らは恐怖と罪悪感から逃れたい一心で、遠山と行方への暴行を再開し、薪でぶん殴った。薪は遠山の性器にも押しこまれた。7日、母の名を呼びながら遠山、死亡。9日、行方が死亡。

26日、赤ん坊を連れてベースに合流した山本順一が総括される。理由はもはやあってなきがごとしで、「運転を誤まった」というものである。彼は殴られず、極寒の山中で一晩中の正座を命じられた。――が、のちに寒さで失神し、倒れたことによって「態度がなってない」と暴行を受け、木に縛り付けられた。同日、「美人でいい気になっている」という理由で大槻節子が総括にかけられる。また、大槻をかばったことで、金子みちよも同罪となった。金子みちよは妊娠8ヶ月だったが、まったく容赦はされなかった。彼女たちは髪を切られ、歯が折れ顔が腫れあがるまで殴られた末、柱に縛られた。30日、山本死亡。苦悶のため、自分で舌を半分以上噛みきっていた。永田は「誰かを総括してないと、みんな退屈してたるんで困るわ」と公言。それを聞きつけ恐怖にかられたメンバーは大槻へのリンチを再開した。大槻は「目が、目がまわる。水、水」を最期の言葉として息絶えた。

あさま山荘事件当時、彼らの「革命的行動」を賛美した進歩的文化人は、ここに至って沈黙を余儀なくされた。


永田とその後のフェミニスト
『美津さんは、自分の番が周ってくると、席を立って話始める。「私と永田洋子の違いは、私はミーハーで、永田はミーハーじゃなかったのよ。永田の周りの人は、一見すごく健全。で永田はおからを毎日食べてるって言ってて、私は無理だわ、と思ったの」「永田も新しい女の生き方を探してた。でも兵士になろうとしたとき自分の中の矛盾を押し殺したんだと思う。孕んだオンナやイヤリングをつけて戦う女を自分の中の消したい自分だったから殺したんだろうね。もし永田がイヤリングつけて戦って何が悪いって開き直ってたら違ったわね」』
http://www.lovepiececlub.com/gebako/gebako.htmlより)


フェミニストからの伝言(ジェンダーは答えを知っている)
永田洋子に対して、上野千鶴子はこう述べている。「深いトラウマだった。私がもしそこにいたら? 殺す側にいたかもしれないし、殺される側にいたかもしれない。」生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠 (単行本)

チキに不都合な真実・まん延するニセ科学(ジェンダーフリー編)