プロ市民のブログについて思う今日この頃

お玉おばさんでもわかる政治のお話」というブログをご存知だろうか。お玉おばさんでも分かると言う言葉の中には、すでに、オバサンに対する偏見が込められているのを感じ取った人もいるだろう。これは確信犯でなければできることではない。

新聞の投書欄などで少しいかもの臭い記事があったら、そこにある名前をネットで検索するとどうだろう。すると、政治・市民団体などに属しているのにもかかわらず、専業主婦などと偽って投書している例が見つかる場合が結構あるようだ。このような一般市民を偽って政治活動をする活動家のことをプロ市民というらしい。

最近、「お玉おばさんでもわかる政治のお話」というブログでは、「マガジン九条」のストラップをカウンタープレゼントと称して配る予定のようだ。プロ市民としてのお玉さんの活動には多くの人が敬意を表すに違いない。「悪意のあるフォローは、フォローする前よりも対象のイメージを悪くする。」という諺が、ネットの世界には存在する。いわゆる印象操作というやつだ。街宣右翼がヤクザや朝鮮人によるものだということをご存知の方もいるだろう。あれを見れば、「ああ、右翼って野蛮人ね。センスないわ。」と一般の人は思うことだろう。
http://karutosouka1.hp.infoseek.co.jp/GAISEN/uyoku.htm

それと同じ事をお玉さんはやっているのだ。なぜか。それは左翼が頭の悪いことをアピールするためだ。左翼の中にも、頭のいい人はもちろんいるだろうが、一人の犯罪者がその組織全体の印象を悪くするように、わざと、頭の悪い左翼のふりをして、左翼全体を貶めるふりをしているのだ。そうすれば、保守派や右翼は油断してしまい、左翼に付け入る隙を与えることになるだろう。だから、常に危機感を煽る左翼の方がいつでも臨戦態勢にあるのはこのためだ。北朝鮮オウム真理教でも、常に外的の存在をアピールすることで、求心力を得ようとするのと同じことだ。

戦後民主主義の恩恵を保守するのは左翼の役目だ。それは膨大な借金とともに、国を破綻させる日を待ち続けている。97年のアジア通貨危機の際に、韓国がIMFの管理下に入り600億ドル近い支援を日本などから受けたことを忘れてしまった人も多いかもしれない。日本でも夕張市が、巨額の債務を抱えたまま財政再建団体の認定を受けたことも、決して他人事にしてはならない。

プロ市民たるお玉さんの役目は国家の破綻に手を貸すことだ。それがプロ市民たる役目だ。反日を謳い、反体制的な言動を続けていれば、やがて、ソ連のように、亡国へと導くことが出来るだろう。計画経済や統制経済に明日はない。戦後民主主義が生んだ膨大な借金を抱えたまま、日本を沈没させるために今日もプロ市民は活動する。


船橋に目を転ずると、左翼プロ市民が公金に群がろうと、「実績づくり」に必死だ。真剣に取組んでいる方々は眉をひそめるが、行政から「引っ張り出す」ことだけが目的の、「実績づくり」に気付けない、無防備で無自覚で無責任な行政も問題だ。環境問題を「メシの種」にする連中には、今後も一層注意を怠れない。』
http://www5a.biglobe.ne.jp/~minoru-n/tsure.html


殿下さま沸騰の日々『てめーらなめんなよっ!』 職業。『プロ市民』。
http://blog.goo.ne.jp/takkie0516/e/a85c7780d9b6aedb17c776541fa9b874


プロ市民 (過激派) - 通信用語の基礎知識
http://www.wdic.org/w/CUL/%E3%83%97%E3%83%AD%E5%B8%82%E6%B0%91%20(%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE)

プロ市民の思想・活動
『このプロ市民、最近は社会主義共産主義が破綻し、彼らがそれらを前面に出しても誰も見向きをしなくなったので、今度は市民という仮面を被り活動を続けているわけである。

彼らには理論はなく、建設的な話し合いはせず、ただ政府のやることに反対するのがお仕事。理屈は後から付いてくる(付かないこともある)。そして、その傍ら運動で引っ張ってきた金が収入となる。

このようなプロ市民が多い所ほど、治安やモラルが悪い。そもそもにおいて、選挙もしていない、したところで落選は間違いない彼らプロ市民が、日本人の代表と勘違いしていることが、己の境遇を全く理解できていないことを露呈しているわけである。』

ヴァンダリズムとモラル・パニック

pantheran-onca2007-01-30

世界が嫉妬するぼくたちの退屈な日常
この写真はモラル・パニックを揶揄する彼一流のヴァンダリズムの表象行為としての価値相対主義の発露によるものではありませんかと問われれば否定しきれない昨今の混迷した政治状況がもたらす閉塞感からの逃避を引き起こす退屈な非日常性を表していて面白いと思う文脈の中で語られることのヘタレとしての愚かさを胸に手を当て「あえて天皇制や国家を語る必要があると説くことで「国体の衣をまとった共産主義者」として亡国へ導くための扇動を担う戦前の右翼の社会主義者革新官僚の如く偽装右翼として亜細亜主義の再評価を主張し反米右翼との融合を図る陰謀によって亜インテリどもを欺くには十分であるような入れ替え可能性の高まる現代社会においては仕方のない事なのかもしれないというニヒリズムに陥ったポストモダンが生み出した最後のテロ行為に他ならないかというとそうではなことが後に判明したとしてももう誰も引き返せないような単純な二項対立的な思考形態にネオテニー化した進化の最終形態としてのロリコン的なラスボスとしての美しさでいえば日本的なイコンとしてのシンボル的存在である安住アナウンサーと何処となく似てなくもないことを否定するつもりがあってもなくてもどうでもいいことだが差異の哲学を掲げながら自殺したドゥルーズなら真剣に悩み抜いて微分の概念を拝借してソーカルに怒られることもなかっただろうがネタのなくなったポストモダンの哲学は速やかに退場することが望ましいと主張せざるをえないほど疑似科学と化した学問に屁理屈的な失敗学の萌芽を感じとった文化的構築物としてのフェミニストの妄想の中に頭のおかしな学者のくだらないコスプレほど感動を与えるものはないと賞賛の意を込めたいい意味での蔑称がある意味でパラノイアとしてのセカイ系に対するメンヘラーのユートピアへの飛翔感とインチキ社会学者というポーズをとることで逃げ場を作るヘタレに安全地帯はないことをお知らせする気分はもうないほどにもう気分は戦争状態にある自意識過剰な戦後平和主義の終末論的危機感に親和するユダヤ陰謀論エセ科学としての隆盛を願う現世否定のご利益は想像を絶するものがあるとセカイ系原理主義者にみんな騙されているとイデオロギーの中心で主体性を叫ぶ自我の遊離が近代のもたらした漂流するグローバリズムの中で自己責任を何処まで問えるのかが民族としてのアイデンティティーに関わる問題として自然と非自然物としての人の狭間で自然に振舞うことの脱構築が起こらないように心がけることが物語としての歴史を語ることの意味を普遍性のある御伽噺の中で新たな主体性の神話と無秩序の中で動物として生きる覚悟を決めたコスプレの迫力に固唾を呑んではいられない。

モデル:宮台真司 / 写真:神藏美子「WHO'S WHO? 宝石女装館」『週刊宝石』1997年9月18日号
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060920/p2
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/text/miyadaitokitada.htm

本誌4月号特別鼎談に宮台真司が反論!(2000年3月22日)
http://www.uwashin.com/2001/masu/masu48.html

アルジャーノンに花束をごっこやろうぜ/馬鹿が知的会話を〜(文学)
http://d.hatena.ne.jp/KJ-monasouken/20070203#p1


国体の衣をまとった共産主義者・尾崎秀實
http://www.daitouasensou.com/review/index.htmlより抜粋)
『この本を読めば、共産主義が如何に右翼・軍部を自家薬籠中のものにしたかがよく判る。何故それが出来たのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し、考えてみれば、本来この両者(右翼と左翼)は、共に全体主義者であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。当時、戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している。ここに、先述の疑問を解く鍵があるように思われる。』

ガモウ帝国の逆襲

だから日本はたかられる
漫画「デスノート」は中国でも大人気らしい。作中に出てきたデスノートのコピー商品(DEATH NOTE 死亡筆記)まで出回り、まさに偽者大国ぶりを発揮している。主人公のキラ(月)に憧れる若い衆も出てきた。英雄待望論は亡国へ向かう日本の救世主であり破壊神でもある。


ちなみに、デスノートの原作者である「大場つぐみ」の名前に関してはこんな説もある。少年ジャンプでは読者の人気アンケート順に作品が掲載されており、後ろの方のページの作品は、「×組(バツぐみ)」と一部の関係者から言われている。そこから、「大×組→大場つぐみ」というペンネームを付けたのではないかというものだ。

デスノートの主人公「夜神月(やがみライト)」が通っている塾は、「蒲生(がもう)ゼミナール」である。そこから、「大場つぐみ」は、『とっても! ラッキーマン』の作者「ガモウひろし」ではないかという説がある。確かに、ラッキーをアナグラムとして逆さから呼めば、キラにもなる。


少し前に、ダヴィンチ・コードが流行ったが、こうなると「ガモウ」コードがデスノートの至る所に散りばめられていることが分かるだろう。キラはラッキーマンなのだ。我々はガモウ・ワールドの中で踊らされていたのだ。もう、ラッキーマンを読まずして、デスノートを語ることは許されないことだ。


中国といえば、日本では海賊版商品でお馴染みだが、商品だけが模倣されているわけではない。中国はどんなに非合法的なものでも、一旦使えると思ったものならばそれを模倣してしまう。そんな中国で高く評価されているのが、ジョージ・ソロスオウム真理教だ。中国はアジア通貨危機の教訓から、経済戦争の有効性を知ってしまった。オウムのサリン事件からは、中国は実際に台湾上空に毒ガスをばら撒くことまでしている。


中国は国家全体が泥棒なのだ。北朝鮮でも、日本のタバコの海賊版商品を作ったり、偽ドル札を作っているが中国の比ではない。中国は「超限戦」という名の目に見えない戦争を仕掛けようとしているのだ。イミテーションを侮ってはいけない。戦後の日本も、真似はうまいけど、オリジナリティはないといわれ続けたのだから。

たかられる大国・日本―中国とアメリカ、その驚くべき“寄生”の手口 (文庫)

帝国三部作
ジェンダー帝国の逆襲
ガモウ帝国の逆襲
ドヴァ帝国の逆襲

ドヴァ帝国の逆襲:

共産主義の描いた理想郷の物語はソ連の崩壊とともに表立って語られなくなった。その後、数々の物語が生まれては消えていった。そんな中で、オウム真理教は独自の世界観を持った帝国を築き上げ、9.11のテロ以後の時代の魁として無差別テロを行った。ソ連が崩壊した今、反体制を掲げる左翼はその機軸をどこにおけばいいのだろうか。その解決のヒントはドヴァ帝国に隠されている。
http://www.kajisoku.com/archives/eid622.html


人間は言葉を用いることで抽象的なことでも考えることが出来るようになった。一方で、ロゴスがイデアと現実を結びつける役割を担ってから、虚構と現実の区別は曖昧なものになっていった。文明やメディアの発達に伴い虚構の世界は拡張し続けてきた。身体感覚からかけ離れたカタカナ英語などの言葉の氾濫は、最早フィクションの世界の広がりこそが現実を支配していることを示している。ジェンダーフリーという聞きなれないカタカナ英語を振り回すフェミニストは、パーリ語を使いまわすオウム真理教とどこかで重なって見える。


我こそが絶対正義なりと自認する左翼は、未だに、スターウォーズのような世界観の中に耽溺している。彼らの発想はユダヤ系資本による悪の秘密結社との戦いを妄想していたオウム真理教の世界観と共通の構造を持つ。オウム真理教は信者の獲得にマンガやアニメなどのメディアを活用した。ゲームなどの虚構の世界の広がりがグノーシス的な世界観を支持する土壌を形成している。オウム真理教は新しいゲームの始まりである。


グノーシス主義はこの世を悪としてとらえ、穢れなき魂の世界こそが善とが考えた。客観性やイデアを尊ぶ科学万能の時代ではとても受け入れやすい発想だ。身体や社会が我々を束縛するものとし全否定し、魂の世界に救済を求める。その世界観では、テロリストによる暴力行為も、オウムによるポアも一切は許されるのだ。


グノーシス主義は原始キリスト教が形成される過程で迫害され滅びた。しかし、近年、ユダの福音書の発見などにより、グノーシス主義の研究も盛んに行われるようになった。グノーシス主義を封印したエイレナイオスの判断は、単なる異端蔑視からくるものではなく、直感的にグノーシス主義の持つ破壊力を感じていたからかもしれない。


ジョージ・オーウェルは「一九八四年」という著書の中で、全体主義的言語の働きを描いた。北朝鮮では様々なスローガンによるプロパガンダが行われている。全体主義的言語は、言葉がファッションとして用いられることの危険性をよく表している。ファシズムは、まず何よりロゴスにより構築される。


自分探しの旅にでた元サッカー選手の中田英寿は、まるで青い鳥を探しに出かけたチルチル・ミチルのようだ。成長から成熟社会を目指すという人もいる。ディティールに対する拘り(物神崇拝)がリアリティを作り出すのだから、その方向性もある意味正しいのかもしれない。ディティールをとことん追求するオタクの存在は成熟社会の魁である。


マンドヴィルの満足亡国論ではないが、満足したら人も社会も衰退と堕落の淵へと転げ落ちる。日本はネオテニーとしての欲望こそが亡国を防ぐ一つの手立てなのかもしれない。人間の欲望こそが現実と虚構の壁を打ち破る駆動力になりえる。永遠のピーターパンだらけのこどもの国の準備はもう出来ている。ジャパニーズクールはアンチエイジングであり、究極の欲望である不老不死をヴァーチャルな世界の中で実現しようとしているのだ。


帝国三部作
ジェンダー帝国の逆襲
ガモウ帝国の逆襲
ドヴァ帝国の逆襲

ヒストリシズム(歴史法則主義)の貧困

ヒストリシズム(歴史法則主義)の貧困
ポパーの提唱するピースミール社会工学には、プラトンからヘーゲルマルクスへと続く、歴史に対して何らかの法則性を認めそれに従って「社会計画」を策定する方法への批判がある。

ヒストリシズムとは「歴史的な予測が社会諸科学の主要な目的であり、またその目的は歴史の進化の基礎となる「リズム」や「パターン」、すなわち「法則」や「傾向」を見出すことによって達成できる、とする社会諸科学への一つのアプローチ」(『貧困』p.3訳18頁)である。

しかし先に述べたように「予測」は、普遍的に妥当する一般的法則と特定な初期条件が揃って初めて可能である訳であり、初期条件を無視して、歴史から経験的に、普遍妥当するような法則を導くことはできない。たとえマルクスの「生産手段への蓄積」のようなものが発見されたとしても、それは単に「趨勢」に過ぎず、人口の急減少などの「条件変化」によって通用しなくなるのである。

ポパーは因果性を認めつつもそれに厳密な条件、制限を与えているのである。またそもそも普遍的言明(法則の意味内容)というものは、非存在言明である(P[1959]15節)。たとえば「すべてのカラスは黒い」といえば「黒くないカラスは存在しない」というように、何事かの存在を認めるのでなく、むしろそれ以外のことが存在し得ない事をいうものなのである。

魔術

魔術 - Wikipedia
概論
魔術とは、本来そこに存在しない"もの"(あるいは"こと")を自らの意思で生み出すための術(すべ)である。その世界に固有の基本法則を、自らの意思で書き換え、具現化させるものと考えられてきたといえる。人間の無意識領域は言語によって到達することができない。そのため、魔術ではこの領域に到達するために多くの象徴体系が用いられる。本来そこに存在しないはずの力を用いるという点では、超能力と近いところもあるが、この象徴概念のあるなしで、魔術とは明白に区別される。

魔術的体系として研究されたもののうち、解明され実現がかなったものは科学の一部となり、ゲオルク・カントール集合論ジークムント・フロイト精神分析学にも多大な影響を与えた。


Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity

The author is a Professor of Physics at New York University. He has lectured widely in Europe and Latin America, including at the Università di Roma ``La Sapienza'' and, during the Sandinista government, at the Universidad Nacional Autónoma de Nicaragua. He is co-author with Roberto Fernández and Jürg Fröhlich of Random Walks, Critical Phenomena, and Triviality in Quantum Field Theory.

官僚は社会主義を追求する

誤一度もなき者は危く候(葉隠
公務員は、革命や戦争が起きても、一般には影響が及ばないといわれている。頭の挿げ替えはできても胴体を変えることは事実上不可能だ。それは国家の手足であり、機能そのものだからだ。トクヴィルの「旧体制と大革命」によると、あのフランス革命でさえ地方の公務員に対する変化を何ももたらさなかったといわれている。


スターリンは革命家ではなく実務家であり、誰よりも官僚的であった。彼の肩書きは生涯、書記長のままだった。党書記長は党の事務長のことだ。彼は党員名簿と経理を掌握することで実権を握っていった。地方の党組織の書記を腹心で固め、党内の官僚機構を掌握し、この党組織での派閥作りが最後には実権を握らせることになった。プーチン大統領も巨大な官僚機関であるKGB、今のFSBを牛耳ることで権力を手中に収めている。旧日本軍も東条英機しか軍部の言うことをきかせられる人間はいないということで首相になっている。


今、行われようとしている公務員改革が如何に難しい事なのかは想像に難くない。いわゆる族議員に代表される抵抗勢力護送船団方式維持を目論んだ天下りなどによる官民癒着体制を更正するには官民両方の意識の変化が必要だ。全共闘世代の役人はとくに私利私欲を追及し、スターリンの手足のようになったものもいるのだろう。官僚の「無謬性」神話は庶民からすればとっくの昔に崩壊している。しかし、テレビに出る庶民感覚を無視した横柄な官僚を見ていると、いまだに誤りを認めない官僚が跋扈しているようだ。


社会主義体制が崩壊した今になっても、「あれは指導者が悪かった」だの、「あれは真の社会主義ではない」と言うものがいる。弁証法屁理屈の論理だ。反証可能性を認めない弁証法マルクス主義は、ポパーに言わせれば、科学のかの字も知らないものの企てということになるのだろう。夢想家で有名なルソーのような哲学者の言説を元に政治を行うことの危険性は、ロベスピエールらの暴政により証明されている。温故知新。


スターリン命令と松本治一郎
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/05shushinkai/003recommend/12010102sueyasu.html#0205
オルグ学入門
http://homepage3.nifty.com/kazano/org.html
大東亜戦争スターリンの謀略
http://www.daitouasensou.com/