ヴァンダリズムとモラル・パニック

pantheran-onca2007-01-30

世界が嫉妬するぼくたちの退屈な日常
この写真はモラル・パニックを揶揄する彼一流のヴァンダリズムの表象行為としての価値相対主義の発露によるものではありませんかと問われれば否定しきれない昨今の混迷した政治状況がもたらす閉塞感からの逃避を引き起こす退屈な非日常性を表していて面白いと思う文脈の中で語られることのヘタレとしての愚かさを胸に手を当て「あえて天皇制や国家を語る必要があると説くことで「国体の衣をまとった共産主義者」として亡国へ導くための扇動を担う戦前の右翼の社会主義者革新官僚の如く偽装右翼として亜細亜主義の再評価を主張し反米右翼との融合を図る陰謀によって亜インテリどもを欺くには十分であるような入れ替え可能性の高まる現代社会においては仕方のない事なのかもしれないというニヒリズムに陥ったポストモダンが生み出した最後のテロ行為に他ならないかというとそうではなことが後に判明したとしてももう誰も引き返せないような単純な二項対立的な思考形態にネオテニー化した進化の最終形態としてのロリコン的なラスボスとしての美しさでいえば日本的なイコンとしてのシンボル的存在である安住アナウンサーと何処となく似てなくもないことを否定するつもりがあってもなくてもどうでもいいことだが差異の哲学を掲げながら自殺したドゥルーズなら真剣に悩み抜いて微分の概念を拝借してソーカルに怒られることもなかっただろうがネタのなくなったポストモダンの哲学は速やかに退場することが望ましいと主張せざるをえないほど疑似科学と化した学問に屁理屈的な失敗学の萌芽を感じとった文化的構築物としてのフェミニストの妄想の中に頭のおかしな学者のくだらないコスプレほど感動を与えるものはないと賞賛の意を込めたいい意味での蔑称がある意味でパラノイアとしてのセカイ系に対するメンヘラーのユートピアへの飛翔感とインチキ社会学者というポーズをとることで逃げ場を作るヘタレに安全地帯はないことをお知らせする気分はもうないほどにもう気分は戦争状態にある自意識過剰な戦後平和主義の終末論的危機感に親和するユダヤ陰謀論エセ科学としての隆盛を願う現世否定のご利益は想像を絶するものがあるとセカイ系原理主義者にみんな騙されているとイデオロギーの中心で主体性を叫ぶ自我の遊離が近代のもたらした漂流するグローバリズムの中で自己責任を何処まで問えるのかが民族としてのアイデンティティーに関わる問題として自然と非自然物としての人の狭間で自然に振舞うことの脱構築が起こらないように心がけることが物語としての歴史を語ることの意味を普遍性のある御伽噺の中で新たな主体性の神話と無秩序の中で動物として生きる覚悟を決めたコスプレの迫力に固唾を呑んではいられない。

モデル:宮台真司 / 写真:神藏美子「WHO'S WHO? 宝石女装館」『週刊宝石』1997年9月18日号
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060920/p2
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/text/miyadaitokitada.htm

本誌4月号特別鼎談に宮台真司が反論!(2000年3月22日)
http://www.uwashin.com/2001/masu/masu48.html

アルジャーノンに花束をごっこやろうぜ/馬鹿が知的会話を〜(文学)
http://d.hatena.ne.jp/KJ-monasouken/20070203#p1


国体の衣をまとった共産主義者・尾崎秀實
http://www.daitouasensou.com/review/index.htmlより抜粋)
『この本を読めば、共産主義が如何に右翼・軍部を自家薬籠中のものにしたかがよく判る。何故それが出来たのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し、考えてみれば、本来この両者(右翼と左翼)は、共に全体主義者であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。当時、戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している。ここに、先述の疑問を解く鍵があるように思われる。』