ドヴァ帝国の逆襲:

共産主義の描いた理想郷の物語はソ連の崩壊とともに表立って語られなくなった。その後、数々の物語が生まれては消えていった。そんな中で、オウム真理教は独自の世界観を持った帝国を築き上げ、9.11のテロ以後の時代の魁として無差別テロを行った。ソ連が崩壊した今、反体制を掲げる左翼はその機軸をどこにおけばいいのだろうか。その解決のヒントはドヴァ帝国に隠されている。
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人間は言葉を用いることで抽象的なことでも考えることが出来るようになった。一方で、ロゴスがイデアと現実を結びつける役割を担ってから、虚構と現実の区別は曖昧なものになっていった。文明やメディアの発達に伴い虚構の世界は拡張し続けてきた。身体感覚からかけ離れたカタカナ英語などの言葉の氾濫は、最早フィクションの世界の広がりこそが現実を支配していることを示している。ジェンダーフリーという聞きなれないカタカナ英語を振り回すフェミニストは、パーリ語を使いまわすオウム真理教とどこかで重なって見える。


我こそが絶対正義なりと自認する左翼は、未だに、スターウォーズのような世界観の中に耽溺している。彼らの発想はユダヤ系資本による悪の秘密結社との戦いを妄想していたオウム真理教の世界観と共通の構造を持つ。オウム真理教は信者の獲得にマンガやアニメなどのメディアを活用した。ゲームなどの虚構の世界の広がりがグノーシス的な世界観を支持する土壌を形成している。オウム真理教は新しいゲームの始まりである。


グノーシス主義はこの世を悪としてとらえ、穢れなき魂の世界こそが善とが考えた。客観性やイデアを尊ぶ科学万能の時代ではとても受け入れやすい発想だ。身体や社会が我々を束縛するものとし全否定し、魂の世界に救済を求める。その世界観では、テロリストによる暴力行為も、オウムによるポアも一切は許されるのだ。


グノーシス主義は原始キリスト教が形成される過程で迫害され滅びた。しかし、近年、ユダの福音書の発見などにより、グノーシス主義の研究も盛んに行われるようになった。グノーシス主義を封印したエイレナイオスの判断は、単なる異端蔑視からくるものではなく、直感的にグノーシス主義の持つ破壊力を感じていたからかもしれない。


ジョージ・オーウェルは「一九八四年」という著書の中で、全体主義的言語の働きを描いた。北朝鮮では様々なスローガンによるプロパガンダが行われている。全体主義的言語は、言葉がファッションとして用いられることの危険性をよく表している。ファシズムは、まず何よりロゴスにより構築される。


自分探しの旅にでた元サッカー選手の中田英寿は、まるで青い鳥を探しに出かけたチルチル・ミチルのようだ。成長から成熟社会を目指すという人もいる。ディティールに対する拘り(物神崇拝)がリアリティを作り出すのだから、その方向性もある意味正しいのかもしれない。ディティールをとことん追求するオタクの存在は成熟社会の魁である。


マンドヴィルの満足亡国論ではないが、満足したら人も社会も衰退と堕落の淵へと転げ落ちる。日本はネオテニーとしての欲望こそが亡国を防ぐ一つの手立てなのかもしれない。人間の欲望こそが現実と虚構の壁を打ち破る駆動力になりえる。永遠のピーターパンだらけのこどもの国の準備はもう出来ている。ジャパニーズクールはアンチエイジングであり、究極の欲望である不老不死をヴァーチャルな世界の中で実現しようとしているのだ。


帝国三部作
ジェンダー帝国の逆襲
ガモウ帝国の逆襲
ドヴァ帝国の逆襲