はてなサヨクの行方

情報戦時代の捏造行進曲
最近、巷では右傾化だとか、ネット右翼という言葉をよく聞くようになった。これは、戦後民主主義において残留左翼が行ってきた犯罪的とも言えるウソや捏造、そして煽動行為が明らかになったからだ。しかも、驚いたことに、今でも捏造は続いている。ネットなどにより急速に情報技術が発展した今、マスコミに対する不信感はかつてないほどに高まっている。しかし、そのことに自覚しないまま、昔の残留左翼と同じ手法で捏造とでっち上げを行えば、その反動としての右傾化はむしろ必然の結果とも言える。

では、はてなブロゴスフィアにおいてはどうだろう。「成城トランスカレッジ」は、はてなサヨク界隈では言わずと知れたブログである。このブログの管理人であるseijotcpは、「ジェンダーフリーとは」というサイトも運営している。
しかし、このサイトも旧態依然とした残留左翼と同じく、ウソやインチキで塗り固められたものであった。seijotcpは次世代サヨクと呼ばれてはいるが、その手段としてネットを用いているだけであり、根本は何も変わっていない。その詳しいウソやインチキの模様は、「成城トランスカレッジの嘘とデマ」などを参考にされたい。

一部のフェミニストバックラッシュラッシャー)などと騒いでいるが、それは当然の帰結である。実証的な裏づけとなる根拠や証拠のそのほとんどがウソや捏造を重ね塗りしたものだ。*1性差の多くは先天的なものであるが、ジェンダーフリー論者はあたかもそれが文化的な構築物であると主張する。しかし、生物学や脳科学の発展などにより性差に対する研究が進むにつれて、今度は性差を基にしたアファマーティブ・アクション(ポジティブ・アクション)を主張することになるだろう。*2

このように、どこまでも永続化されるイデオロギー運動がフェミニストに代表される左翼運動の特徴の一つである。ご都合主義として利用される理屈は何でもかまわないのだ。それが目的のためには手段を選ばない左翼の特徴でもあるからだ。では、残留左翼が行ったウソや捏造から得られる教訓は何だろうか。それはもうウソや捏造などのごまかしが効かなくなってきており、さらには、ときに逆効果ですらあるということだ。

Q不毛なレッテルの張り合いがもたらすもの
ここは情報統制の行き届いた北朝鮮や中国ではない。いくら、マスコミや学者が煽動したところで、やがてウソはばれる。ウソは信頼を揺るがす行為であり、左右問わず致命傷になりかねない極めて危険な行為だ。ウソは人の倫理感覚をどこまでも後退させてしまう。過去のウソや捏造について今からでも清算を行えばまだ少しは救いもあるが、今更それは不可能なことなのだろう。それは過去を全否定することにもなるのだから。残留左翼が寿命を迎えても、次世代のサヨクに継承される。人は至ることで鎖に縛られている。イデオロギーという名の呪縛と迷信によって。


フェミナチの惑星・猛毒の街
左翼のウソが反動を招くしかないことは、バックラッシュなどと騒いでいたフェミニストには十分わかっていることのはずだ。「目的のためには手段を選ばない」という残留左翼の手法は邪道である。このまま邪道を歩むことは無闇に反動が起こるだけだ。邪道も覇道も長くは続かない。左翼も王道を目指すべきだろう。それがよりよい世の中を作るうえで建設的かつ懸命な道だ。残念ながら、一部フェミニストらは開放同盟のダミー団体である人権協会との連帯を強めており、先鋭化を強める一方のようだ。先鋭化を極めれば恐竜のようにやがて滅びるだろう。猫のように爪を隠して、掌にする術を身に着けるのだ。

*1:例えば、ミードの『サモアの思春期』はデレク・フリーマンの『マーガレット・ミードとサモア』により反駁されている。ジョン・マネーとパトリシア・タッカーの『性の署名』も、後に失敗であることが明らかになっている。フェミニストが政治的に用いたジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』の「抑圧された記憶の回復」説は、エリザベス・ロフタスによって否定されている。

*2:機会の平等ならまだしも、結果の平等を求めることは共産主義的な発想である。