ヒヨリミ偽装保守・宮台真司

はてなサヨクの貧困な歴史認識
seijotcpといえば、言わずと知れたはてなサヨクである。最近のブログのエントリーを見ると、やはりというべきか、サヨク特有の歴史認識が見て取れる。「第二次世界大戦は、共産主義者の陰謀だった!」とか騒いでいるが、きっと歴史も未履修だったのだろう。歴史を紐解けば、日本は右翼の社会主義者が跋扈していたのだ。

彼らを軍国主義者や国家主義者と呼ぶものもいるが、それでは本質は分からない。当時は、天皇制の廃止を掲げる左翼の社会主義者は流行らず、代わりに天皇を戴く右翼の社会主義がブームだったのだ。天皇万歳さえ唱えれば、どんな社会主義者でも転向したとされ、無罪方便になったのだ。

右翼社会主義思想を唱えた北一輝*1は「国体論及び純正社会主義*2を記している。皇道派と統制派の違いも、天皇を戴く社会主義革命か、合法的社会主義体制の実現を目指すかの違いでしかない。革新官僚という言葉もあるが、彼らが計画経済を志向していたのは自明の理である。ブロック経済圏の蚊帳の外に置かれたイタリア、ドイツ、日本などの持たざる国が国家社会主義へと傾倒していったのは歴史的事実である。


北進論から南進論への華麗なる煽動
日露戦争直前には、ロシアとの戦争に備えた寒冷地における戦闘の予行演習が行われている。これは後に八甲田山死の彷徨とも呼ばれるようになった。日本はロシアの脅威に対する防波堤として朝鮮を独立させ後に併合しているが、東西ドイツの統一でも多額の金がかかったように、伊藤博文はこの併合に反対していた。

満州事変以降も、ソ連との武力衝突の可能性からシベリアの極寒地に耐えられる装備を整えていた。しかし、その後の日中戦争の泥沼化と経済制裁の結果、戦争遂行に不可欠な石油資源を確保するために南方侵攻に切り替えたため、ソ連を仮想敵国とした装備は無駄になった。この日中徹底抗戦と南進論へと世論を大きく誘った人物の一人が朝日新聞の記者でもあった尾崎秀実である(革新勢力の思想と大東亜戦争)。

ソ連コミンテルンと言えば、革命を輸出するための機関としてお馴染みの存在だ。日本共産党がかつてコミンテルンの日本支部だったということもわりと有名な話だろう。そんなコミンテルンの手先として日本で活躍したのが、ゾルゲと尾崎秀実である(ゾルゲ事件)。彼らの謀略を一言で言うならば「敗戦革命」である。これは近衛上奏文の内容とも重なるところが多い。近衛上奏文では、次の三点が述べられ、共産主義革命の実現に対する強い懸念が表明されている(近衛上奏文)。
・「大東亜戦争」は日本の共産化を目的として行われて来たこと
・「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること
・一部の陸軍将校たちがソ連軍導入による日本の共産化を目指していること


国体の衣をまとった共産主義者宮台真司
最近の宮台真司は、右翼の社会主義者である北一輝、あるいは尾崎秀実と極めて類似した方向に向かっている。実際、彼の唱える亜細亜主義の再評価は、尾崎秀実の「赤い東亜共同体」構想の模倣でしかない。これから、偽装右翼や偽装保守が増える一方かもしれない。

人工的な社会秩序を志向する社会学者が、全体主義へと至るのはやむをえないことだ。社会問題に対する処方箋を今でも思い描いているのだろう。しかし、その処方箋の副作用については、まるで無頓着なことが多い。フェミニストが過去の社会実験の失敗を知ってか知らずか、繰り返そうとするのも思えば不思議なことだ(ジェンダーフリーと社会主義)。

seijotcpのように、歴史教育の貧困のためだろうか。マルクスをはじめ、何らかの社会法則を歴史から見出そうとする社会科学的手法には、初期条件や境界条件をわきまえる必要があるだろう。時代が変わってもその社会法則がそのまま通じると考えるには、余りにも想像力が欠如していると言わざるを得ない。そこには、「歴史法則主義の貧困」が潜んでいる。時代の波に飲み込まれたものたちが、その波の高さを知るのは暫く後のことになるだろう。

*1:彼は日蓮宗の熱狂的信者でもあった。日蓮正宗から破門された創価学会の他宗教に対する不寛容さは、この宗派に通低して見られる特徴でもある。

*2:マルクス主義者の片山潜をはじめ左翼たちはこの著書を絶賛している。