北進論から南進論へ

大日本帝国陸軍は1931年の満州事変以降、ソ連との武力衝突の可能性からシベリアの極寒地に耐えられる装備を整えていたが、その後日中戦争の泥沼化と経済制裁の結果、戦争遂行に不可欠な石油資源を確保するために南方侵攻に切り替えたためソ連を仮想敵国とした装備は無駄になった。この日中徹底抗戦と南進論へと世論を大きく誘った人物の一人に尾崎秀実がいる。


朝日新聞左傾化した社会部に苦慮した幹部らにより社の構造改革に乗り出したらしい。尾崎秀実が南進論を声高に唱えたように、朝日新聞は新たな舵きりを行えるのだろうか。日本は南進論により戦争の泥沼を嫌というほど味わった。結局、戦争が終わってみれば世界は冷戦に突入していた。日本、アメリカはレーニンスターリンの手のひらの上で踊らされていたといっても過言ではない。


日本は日清戦争により朝鮮を独立させ朝貢体制は崩壊した。しかし、その後、日本は朝鮮を併合してしまった。東西ドイツの統一でも多額の金がかかったように、伊藤博文はこの併合に反対であった。しかし、朝鮮を共産主義ロシアの脅威に対する一種の防波堤にする必要があった。後に、マッカーサー朝鮮戦争によりロシア(旧ソ連)の脅威を嫌というほど味わって、やっと朝鮮を併合してまで発展させた日本の意図に気づいた。結局、戦うべきは共産主義(ロシア、中共)だったのだ。しかしながら、その後のアメリカは、まるで、ミイラとりがミイラになった、という諺の通りだ。


日本はもともとロシアの脅威に対峙する用意は周到に行っていた。しかし、尾崎秀実らによる世論の誘導によりいつの間にか日本は南進する羽目になった。なぜ、北進論は消えてしまったのか。


当時は世界恐慌に対してロシアのみが五カ年計画などにより華々しく繁栄を続けていた。そして、アメリカやイギリスなどは植民地をもとに独自の経済圏を形成し強烈な保護貿易を行った。この経済ブロックから外れたイタリア、ドイツ、日本などの持たざる国が国家社会主義国へと傾きだしたのはこのころである。北一輝のような右翼の社会主義者青年将校が靡いていったのもこのころだ。


今と違って当時は共産主義国がまだまだ魅力を持って存在していた。今でも北海道には対ソ連用に作られた90式戦車が配備されている。最近、ロシアは石油資源により経済は急速に回復した。中国はいまや世界の工場である。しかし、ロシアも中国も言論弾圧をしいた全体主義国家であることを忘れてはならない。北朝鮮はそんな冷戦最後の置き土産として独特の存在感を放っている。