まん延する非モテとカーゴ・カルト

悲劇のヒロインを気取る非モテの欺瞞
なんだか、最近、非モテという言葉を耳にするようになった。まず、モテないと思っている人はモテるやつに対する偏見があると思う。まず、第一に、いくらモテる奴でもナンパの確率は百パーセントではない。まず何より出会いが大事だ。モテるといわれている人は、その出会いの数を積極的に増やすだけの努力を怠らない。

もちろん、容姿は綺麗にしておいた方がいいにきまっているが、それが全てではない。出会いの数を増やせばいいといったが、出会い系サイトはやめておいた方がいいだろう。ネットなどではなく実際にあって話ができるような設定を自分で積極的につくるのだ。つまり、非モテとは積極的に出会いの場を作ろうとしないものたちのことである。性格ブスのサヨク、いわゆるブサヨクの精神構造も同系統のものだ。*1


非モテカーゴ・カルトの深い関係
なぜ、非モテなどというものが流行っているかと言うと、これには心当たりがある。そう、知らないおじさんが勝手にプレゼントをくれるという風習だ。クリスマスになると、日本の子供たちはトナカイを引き連れたサンタクロースがくると信じ込まされるているのだ。これは犯罪的な洗脳といってもいいだろう。こんなものはカーゴ・カルトの亜種でしかない。「買って、買って!」と泣き叫べば何でも好きなものが手に入ると思っているのだ。この幼稚な心情が大人になっても続くと、非モテになるのである。実は、このカーゴ・カルトとしての非モテは社会全体にまん延しているのをお気づきだろうか。*2


非モテ同盟としての官僚統制経済
公共事業をくれくれと天を仰ぐゼネコン業者の心情は、天からのお恵みを待ち望むカーゴ・カルトと同じものだ。彼らは談合という「非モテ同盟」をつくり、自由競争を疎外する原因にもなっている。官僚もこの非モテの構造を積極的に維持するために、彼らに天下り先を要求するのだ。そして、天下りの人数に応じてサンタクロースならぬ天下国家からのプレゼント量が決まる。こうして、護送船団方式という名の非モテ同盟は維持されるのだ。

この非モテの構造を社会全体で行おうとしたのが、そうご存知、共産主義である。すべての人を平等にするという理念は非モテ同盟の拡大版である。共産主義は金持ちに対する嫉妬や妬みから生じている。非モテもモテに対する嫉妬や恨みから生じているのだ。反体制を掲げる左翼の心情も非モテそのものだ。今流行の格差社会論争も実に非モテである。*3

しかし、劣情に基づく政治ほど愚かなものはない。イギリスの元首相サッチャーは、共産主義体制は嫉妬を正当化することを前提にした制度だと、正しく看破している。嫉妬は人間の感情で最も恥ずべき劣情。劣情をもとにした制度がうまくいくはずないのだと。


非モテ同盟によるモテ追放
ライブドア事件日興コーディアルの粉飾事件はその処罰に大きな差が生じた(出る杭は打たれる)。これは非モテ同盟である天下りの数によって決まってくるからだ。その他にも、政界や財界との非モテ同盟関係の構築を怠ったからだと思われる。そのことにやっと気づいたホリエモンは「日本は共産主義社会」とし、日本社会について、エリート官僚が「何が正しく、何が重要かを決定する」共産主義国家と同じ過ちを犯していると痛烈に批判している。官僚によって「出るモテは打たれる」のだ。日本の将来はベンチャー企業にかかっていると言っても過言ではない。今後の起業の動きが心配だ。
堀江貴文逮捕による本当の損失


非モテとはすべからく左翼であり、隠れ共産主義者に他ならない。いうならば、日本全体が非モテで覆われていた時代を戦後民主主義と呼び、その非モテ時代からの脱却こそが戦後レジームからの脱却である。しかし、アメリカの非モテ支配からの脱却を目指した田中角栄アメリカから潰されたように、アメリカの枠内での戦後レジームの脱却にしかならないだろう。左翼も右翼も困ったときのアメリカ頼みで、アメリカを牛耳る非モテ同盟からは逃れられない。非モテ同盟の黒幕はグローバリストである。長いものには巻かれろで、アルコール依存症のように非モテ中毒になった日本人には、平和ボケした戦後レジームのぬるま湯の中で釜茹でされるのを待つのみだ。*4


隷属への道
人の手に負えないものをマルクスは「疎外」と呼んだ。アダム・スミスはそれを「神の見えざる手」、または「市場」と呼び、構造主義者たちは「構造」と呼んだが、すべては同じ事を言い換えただけに過ぎない。ハイエクの「自生的秩序」も同じことだ。マックス・ウェーバーは「資本主義社会では、その不可避に人間が背負わなければならない悪の部分を資本家が背負う。ゆえに、資本主義が正しく、社会主義は間違っているのである」と「社会主義とは何か」という講演で述べている。

モテや格差が生じるのは不可避なことだ。それを無くそうとする運動は不自然なことであり、より大きな矛盾として綻びを見せることになるであろう。我々はまだ魔術の世界から抜け出せていない。魔術と夢想の果てに訪れるのは屍の山かもしれない。宮台真司は今の偽装転向も想定の範囲内として計算済みだと言うのだろうが、想定外の出来事を甘く見てはいけない。この世は偶有性に満ちているからこそ意味がある。すべてが時計仕掛けなら人間は規格大量生産されたロボットでしかないだろう。*5


3・11ホワイトデー爆砕デモで決定的勝利!!

高知新聞社説■【日興不正会計】ライブドアよりひどい■

ホリエモン:日本は共産主義国家なのか?

「特権階級」に勝てなかったホリエモン

新たなるグローバリストの、日本国民への攻撃策

*1:非モテは敗北主義であり、レーニンの「敗戦革命論」のごとき亡国への一途である。

*2:護憲を唱えるサヨクの心情もアメリカ頼みのカーゴ・カルトの一種である。

*3:共依存や共生などといったおべんちゃらも非モテの隠れ蓑でしかない。

*4:アメリカをサンタさんとしていつまでも甘えている場合ではない。これをサンタニズムと命名しておこう。

*5:真の理論家とは自分の理論の間違いに気づき積極果敢に新しい理論の構築と改良を行うもののことだ。私もかつて理論を間違って解釈していたことがある。とくに回りに自分以外にその理論のことを余り分かる人間がいない場合はよく起こりえることだし、それはしょうがないことでもある。しかし、戦後のウソをしらばっくれる左翼と同じような状態に陥った宮台真司の今の状態は非常にもったいないことだ。思想転向などではなく過去のモデルの落ち度に気づいたのなら、それは理論家にとってのチャンスでもある。小室直樹も次の世代につながる理論家を期待しているのではないだろうか。今は小室直樹の遺産で食っているものが多すぎる。師匠を越えるのが弟子の役目でもある。欧米の模倣ではなく新しい理論を構築するぐらいの気概を持って若手は研究に励んでほしいものだ。