三島由紀夫の慧眼

最近、日本の右傾化がよく言われる。ソ連の崩壊、そして共産主義国家、中国の改革開放路線とマルクス主義は過去のものとなった。共産国家中国では、市場経済による猛烈な格差に苦しんでいる。これこそが、マルクス主義が更正したかったものではないのだろうか。なんとも皮肉なことだ。平等を目指したはずの共産国家でもっとも格差が顕著になるとは。


資本主義の欠点を補完するものとして社会主義的な政策を先進国では、うまく組み入れてきたと思う。日本も官僚統制型の政策によって、一億総中流と、ある意味、共産主義が目指していた平等をもっとも達成できていたのかもしれない。今はまた新自由主義的な政策の中で、格差が問われるようになってきている。歴史は左派と右派の反動による波の中にしか、中道はないのかもしれない。


このようなマルクス主義の没落とともに、日本の右傾化が問われだしたわけだが、三島由紀夫がこの時代に生きていたらどう感じたのだろう。彼こそ、憲法改正を最も望んでいた漢の一人だと思う。安倍首相は保守派だといわれている。左派からはタカ派だの、右翼だの言われているようだが、本人は保守だと思っているのではないだろうか。


イラク戦争時には、アメリカのネオコンと呼ばれる新保守主義の存在が話題になった。ネオコンはその名前からして一般に右翼といわれているが、人脈的には共産主義思想を支持するトロツキストに由来する部分が多い。ネオコンの主張の一つに、アメリカ的民主主義の輸出があげられる。このグローバリズムは形を変えた第四インターナショナルトロツキズムの世界革命論)の幻想でしかない。


ソ連コミンテルンは世界中に革命をばら撒こうとし、実際、日本にも共産主義のシンパを多数作ることに成功している。尾崎秀実は日本を太平洋戦争の泥沼に扇動した重要人物の一人といってもの過言ではない。世界が真っ赤になれば、国境はなくなり、世界平和が訪れるのだと。このコスモポリタンアナーキズムの夢は打ち砕かれたのだ。多数の屍を伴って。


ちょんまげを解いたときに、日本の魂の開放と消滅が同時に生成しのだ。量子力学上の真空が、粒子と反粒子の生成で溢れた芳醇なものであるように。