アンサンブル日記

社会科学を伴った将来へ

暴力の増大,高齢化,民族間闘争,地球温暖化,これらの問題はしばしば誤解されている社会科学にその真価を実証する機会を提供している。しかし社会科学自身先ず変われるであろうか。

 概して社会科学がわれわれのために何をしようとするにせよ,より良い世界を建設することを夢見ることは禁じられていない。どうすれば都市をより調和のとれたものにするか,犯罪率を減らすか,福祉を改善するか,人種差別を克服できるか,われわれの富を増やせるか。これらは社会科学の本質である。困ったことに社会科学の結論があまりに理論的とか,野心的だとか,好ましくないとして退けられることが多い。研究方法も,しばしば厳しさが欠けると攻撃される。


 各国政府と国際委員会を含む多くの分野から寄せられた苛酷な批判の下では,社会科学がその中で育ち行動する適切な環境を有するのは困難である。抜本的な方策が今や事態を反転させるよう提言され,いかにして大学の地位を付与するかということから,シラバスを整備し,資金を集めることに移りつつある。



『 学問の細分化をやめ,各部門間の関係に新しい秩序を打ち出す必要は,全ての社会科学において重要であるが,恐らく経済学において最も重要である。それは経営と公的事業で圧倒的地位を得たからにすぎない。』


『 経済の社会・文化的基礎を厳格にかつ方法論的に解明するには,他の社会科学を参照しなければならないことは明白であろう。例えば,人類学を採り上げてみよう。人類学は価値体系,制度,家族構成それに宗教的背景すら,それが個人の行動へ与える影響を説明しようと試みる学問である。

しかし多年の間,人類学とその分派,民族学は異国情緒ある社会の研究にかぎられてきた。しかし人類学は,われわれ自身の社会について,将来といわず,その機能に対し幾分の光を投げかけることができる。
(中略)
この学問は,アカデミックな正当性を獲得し始めたばかりでなく,家庭や投資家等の行動を詳細に理解しようと望んでいる企業の真剣な関心をすでに引きつけつつある。このことは各文化圏を超えて活動している多国籍企業について特に言えることである。

1970年代にIBMが委嘱した,同社が子会社を持っている60カ国以上の調査が,これの完全な例となっている。それ以降,多くの調査は,個人主義の程度,不確実性の管理段階的構造への関心,従業員の行動での性能バランスのような,社会・文化的要因が経営に与える影響を重視している。』



『 社会科学自身の学際的性質の外に,社会科学と自然科学の間の密接な関係の呈示もある。ニューロ科学の発展で起こっている結果とのオーバーラップがすでに生じている。例えば,この学問の研究センターは,生物学者,医者,心理学者,社会学者,数理学者,哲学者を擁し,これらが共同して緊密に働いている。

もう一つの例は,環境の質,天然資源の入手可能性,海上環境の生産性までに採り上げている。これらはすべて,人文的要素あるいは人類学的要素から強い影響を受けている。

現在ではグローバルな温暖化のような分野で行われる世界的プログラムは自然科学研究者と人文科学研究者を同一テーブルに導いている。これら2つの科学によく訓練された人達に対する需要が今後増え,アカデミックなプログラムがこの要求を満たすために導入されるべきことに疑問の余地はない。』

『 各国政府は,社会の運営に社会科学がかなり助けとなる感覚を有している。政府はまたその当面する個別問題の処理にも,社会科学への依存を深めている。イギリス政府は都市環境における青年層に対する研究プロジェクトを実施した。

調査結果は,社会的崩壊,疎外,失業克服のための政府プログラムの設計に強い影響を与えた。この調査が1997年の総選挙を決定づけた世論動向の形成に一役買ったと言っても言い過ぎではないであろう。』


『 一般に,様々な社会科学が政府の行政の運営により大きな影響を及ぼし自己の適当な役割を見いだすのは,民主的で活発な論議を行うにふさわしい条件が全国的にも,地方的にも全てのレベルで存在している時である。現在,社会科学研究者と「社会」の対話の殆どは,一方的講義の形をとっており,研究者は社会グループと相互に影響しあう機会は殆ど与えられていない。スウェーデンは最近この点に関し,持続的発展問題への社会科学の関与を認め,研究者と市民社会との重層的対話を確かに提供する重要なプログラムを始めた。』

違いを作ることができる

 社会科学は情報技術の進歩と膨大な資料の収集,処理,蓄積,散布能力が増えることによって,恐らく自然科学以上に,変わるだろうと信ずべき強い理由がある。各国の多くの分野における現存のデータベースをつなぎ,大規模で統合された比較分析を実施することが可能になり始めている。広範な問題に対する大きな調査が,今やインターネット上で行えるようになっている。これは,非常に様々な人々の考えや行動の研究に,明らかに役立つであろう。これは多数の研究チームを世界的ネットワークで繋ぐ仮想ラボラトリーにおける作業の可能性を開いたものである。

 このことは社会科学者の技術的ファンタジーではない。全米科学基金を通じ,アメリカ政府は既にいくつかの分野で試験的行動を開始している。例えば暴力に関する仮想研究センターが,心理学,犯罪学,経済学,生物学,経済学に至るあらゆる分野における20もの組織で働いている何十人もの研究者からの情報を突き合わせ,供給するため,設立されている。いくつかの方法で,技術的可能性が,気候学に及ぼした効果に比す事ができるような変化が社会科学に及ぶと考えられている。数十年前,気候学は世界中に散在する観測所から偶然にまた時々送られる情報に依存していた。現在は衛星の利用により,われわれの気候現象の理解と予測は大きく改善された。

 そのようにして社会科学は立ち直り,21世紀に自身を主張できるであろうか? 社会が自己を分析する方法はゆっくりとしか発展しないので,われわれは恐らく何十年かこれに答えられないであろう。結局,社会科学には,いくつか他の科学のような突然の発見や主題の解明は稀である。そのうえ,社会科学は自己の領分を守り,イノベーションや変化に対する既存機関の頑固な抵抗に当面し続けるであろう。社会には(これは定義上安定を求めるとされる),あらゆる種類の自己分析にふけることへの抵抗が組み込まれているということであろうか。難しい真理を好む人は殆どいない。しかし恐らく,情報時代においては,また,知的世界の物質的経済においては,すべてが変わりえる。恐らく社会は,単に生き残るためだけにでも,自己をより良く知る緊急の必要性を発見するであろう。そうなると社会科学はもっと需要が増えるであろう。







文系の学問と理系の学問の隔絶
http://www.sakamura-lab.org/tachibana/first/02minj/cpsnow.html

[News Digest 2003] 公共政策大学院開設へ 今時代は文理融合を求めている  【反実仮想】 <2004年2月号掲載>
http://www12.big.or.jp/~h-press/articles/jiji/j0402kou.html






街の中で素敵なおじさんに出会った

大仏のようなホトケがおに心が洗われた