語録メモ

吉田茂政党政治は明朗に堂々と】

 わが国が自由国家群の一員として立つには、内政は民主的であり、その外交も国民の支持を得ているものであるということを明らかにせねばならない。民主政治が確立しているということは、議会政治が常に民主的政党政治の線で行われることである。


議会において暴力が議場を支配したり、利権をもって誘ったり、いかがわしき資金を集めてこれを散布して勢力を張らんとするが如きは大いに戒心せねばならぬ。かかる疑いを国会内外にさしはさまれるような政治では自由国家群の信用は得がたく民主政治が確立しているとはいえない。


故にわが国の議会、政党政治は、もっとも明朗な堂々たる政綱政策の上に、堂々と行わるる事実を常に内外に明示せねばならない。即ち政党、議会、政府は政策を基礎とし中心として行動すべく、徒に権力に接近し若しくは維持せんがために動くべきではない。


政党自身は勿論その心がけでなければならぬが、同時に国民も美名の下に怪しげな行動をなす政党に眩惑せられず、常に政界の動向に深甚なる注意を払い、民主政治、政党政治の確立にこころがけられたいものである。


ルクレチウスと科学
寺田寅彦

「意味のわからない言葉の中からはあらゆる意味が導き出されることは事実である。狡猾(こうかつ)なる似而非(えせ)予言者らは巧みにこの定型を応用する事を知っている。」

「 科学上ではなんらかの画紀元的の進展を与えた新しい観念や学説がほとんど皆すぐれた頭脳の直観に基づくものであるという事は今さらに贅言(ぜいげん)を要しない事であるにかかわらず、昔も今も通有な一種の偏狭なアカデミックの学風は、無差別的に直観そのものを軽んじあるいは避忌するような傾向を生じている。これは日本やドイツばかりには限らないと見えて米国の学者でこの事を痛切に論じたものもあった(4)[#「(4)」は注釈番号]。これは科学にとって自殺的な偏見である。近代物理学に新紀元を画した相対的原理にしても、素量力学や波動力学にしても、直観なしの推理や解析だけで組み立てられると考える事がどうしてできよう。」


「私は思う。直観と夢とは別物である。科学というものは畢竟(ひっきょう)「わかりやすい言葉に書き直した直観」であり、直観は「人間に読めない国語でしるされた科学書の最後の結論」ではないか。ルクレチウスを読みながら私はしばしばこのような妄想(もうそう)に襲われるのである。
 ちなみにわが国の神官の間に伝わる言い伝えに、人間の霊魂は「妙(たえ)に円(まろ)き」たまであるという考えがあるそうである。この事を私は幸田露伴(こうだろはん)博士から聞いて、この条の心や精神の元子と多少でも似た考えがわが民族の間に存した事を知り奇異の感に打たれたのである。これはギリシア語のテュモスが国語のタマシイに似ていると同じく、はたして偶然であるか、そうでないか全くわからない。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2347_13818.html

文学と科学の国境
「 科学の世界には義理も人情もない。文学の世界にあるものは義理と人情のほかのものと言えばそれの反映である。しかし、科学の世界は国境の向こうから文学の世界に話しかける、その話はわれわれにいろいろのことを考えさせる。」

「科学者が科学者として文学に貢献しうるために選ぶべき一つの最も適当なる形式はいわゆるエッセーまた随筆の類であろうと思われる。」

http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2358_13799.html